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  • サブカルで食う(大槻ケンヂ著・白夜書房) 感想

    ●はじめに

    この本の正式名称は「サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法」です。記事のタイトルでは一部省きましたが、念のため一通り書いておきます。今回の記事は途中に、特に中島らも関連の広告が多いですが、最後までよろしくお願いします。

     
    ●私にとって大槻ケンヂとは

    昔むかし、おおよそ1980年代の中盤から1990年代の初めぐらいに、この国にバンドブームというのがありました。それまでヤングが聴いていた音楽(主にアイドル歌謡)とは違うサウンドが沢山生まれて沢山放送されるようになって盛り上がり、沢山のヤングがそのようなサウンドの音楽を聴くようになりました。先にバンドブームと書きましたが、数多のバンドのみならず数多のソロアーティストが、カンブリア爆発のようにわんさかと増えました。

    バンドにしろアーティストにしろ、それまでのものと違っていて新鮮に感じられたから人々が飛びついた一面があります。少し感触が違っていたものがあれば、かなり変わっていたものもありました(例:たま(Wikipedia)・代表曲「さよなら人類」)。

    そんなさなか、世に現れたバンドの一つが、大槻ケンヂ(Wikipedia)がボーカルを務める筋肉少女帯(Wikipedia)(略称は筋少)でした。筋肉の要素も少女の要素も見当たらない、バンド名が体を現わしていない上に「隊」ではなく「帯」であり、異様な世界に片足を突っ込んだような世界観の歌が多かったのですが、当時は少し変わっているのがある意味普通だったので、まあ私はすんなり受け入れていました。

    後に「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」(Wikipedia)というニッポン放送の深夜放送が始まり、それも普通とは少し話題の毛色が違うような番組でしたが楽しく聴いていました。

     
    ●面白い読み物として
     
    語り口が面白い、という理由で所持を続けている本があります。別役実著「けものづくし」(平凡社ライブラリー)然り、中山康樹著「超ジャズ入門」(集英社新書)然り、西原理恵子「生きる悪知恵」「家族の悪知恵」(文春新書)然り、中島らも「中島らもの明るい悩み相談室」(朝日文芸文庫、特に前半がおすすめ)然りです。以前紹介した蛭子能収著「ひとりぼっちを笑うな」もこの要素があります。本書もまず読んでいてただ楽しめる、という意味合いでおすすめします。

     
    ●実践的知識も

    タイトルに「食う」と銘打っているだけあって、結構役に立ちそうなことが書かれています。中でも感心したのは「親に反対されそうなことを伝える時」のことで、確かにこれは機転が利かないと思いつかないことだと思いました。他にも小説やエッセイの書き方、作詞の仕方がいかにも方法を考えて実践していて使える感じがします。他にも、いかにして表現のための素地をつくるか、心得としてはどうあるべきか、あるいは何をすべきでないか、更に芸能事務所とはどのような契約を結ぶべきか、ライブではどう振る舞えばいいのか、そして……心が折れたらどうすればいいのか、そこまで書いています。この中のいくつかは、表現者ではなく会社員やっていて普通に生活している人でも応用が利きそうです。例えば、カラオケではどう振る舞えばいいのか、朝礼でみんなの前で話す前には……そんなことを想像しながら読みました。
     
     
    ●大槻ケンヂの一代記として

    さて、この本がどのように書かれているかといいますと、著者大槻ケンヂの過去から現代に至るまでの順に記述されているのですね。学生の頃はこうだっだ、インディーズのとき、メジャーデビューのときはこうだった、人気が停滞したとき、筋少が再結成したときは……その中から、創作に、表現のために、芸能の世界で生きるには、といった経験から身に着けたノウハウを書き連ねています。その中には、大抵の人が気になるお金のシビアな話も芸能界の裏側の話も出てきます。ちょい暴露本ぽい?みたいな感じでしょうか。更に、必然的にインターネットの無い時代はこうだった、という一種の時代物としても読み解くこともできます。それらのような見方でも楽しめる本です。
    また、たいてい周りの見えない自分語りになりそうなのところを、赤裸々かつ客観的に、この二つを両立した上で語っているのはかなり好感が持てました。
     
     
    ●終わりに

    この本の正式名称は「サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法」です。が。読み終えた今となっては「(略) 就職せず好きなことだけやって生きてきた方法」のほうがしっくりくるのかな、と思いました。また、自分のことならある程度は書けるはずなので、身の回りのことであれ、昔話であれ、そこから表現を始めるのもいいと思いました。本書は北村ヂンによる注釈も充実しており、あまり耳にすることのないサブカルの文化的知識も得られる、という点でもお得といえます。あと、最後のライムスターの宇多丸との熱い対談も見ものです。
     
     
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    今回は心に残る曲をどうぞ。


    「水の鏡β」歌は出宅ナイさんです。
     

     

    それでは大槻ケンヂ・筋肉少女帯関連アイテムの特集です。

    「空手バカボン」(Wikipedia)は大槻ケンヂ、内田雄一郎(筋肉少女帯のベーシスト)、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(Wikipedia)(本書でも触れられている、大槻ケンヂに多大な影響を与えた人物)によるユニットです。


  • 聖書の奇跡 その謎をさぐる(金子史朗著・講談社現代新書) 感想

    旧約聖書に記載された超常的な記述について科学的な解釈を試みた本です。言い換えるなら、科学的な解釈が可能な箇所について取り上げた本といったほうが正確かもしれません。昭和55年(1980年)7月20日初版発行。今からおおよそ38年ほど前の本です。今ではこの方面の知見もかなり溜まってきていると思います。

     
    エブラ王国。ダマスカスの北、地中海とユーフラテス川に挟まれる位置にあった国で、本書によれば紀元前2400年頃に王国繁栄の基礎ができていて、エブラ語の完成度からすると紀元前2800年以前には成立していたと推測されています。その国の公文書ともいえる楔形文字粘土板が約1万6630点も発見された……NHKテキストViewの記事「『旧約聖書』はいつ、どのように編纂されたのか」によると、旧約聖書のまとまりのあるものが成立したのは前5世紀から前4世紀頃とのことです。

    そして、それよりもはるか昔の、その王国の粘土板に「創世記」に出てくる都市の名前が刻まれていました。アデマ、ゼポイム、ベラ、そして……ソドム、ゴモラ。ソドムとゴモラは聖書以外に知られていなかった名前で想像の産物と考えられていましたが、この両市は紀元前2250年以前には実在していたとのこと。となると、旧約聖書とエブラ王国の関係は?共通点は?という話が少し載ってます。

    次に、聖書の時代の気候についての話があります。本書によると、紀元前5000年から同2350年の間は西アジア、エジプト、北アフリカは高温多湿だったとのことです。現代の研究でもその説は変わってないのか気になるところではあります。しかし紀元前2350年から同500年の間は極乾期(ハイパーアリド)に入り、気候が乾燥していったのに加え、放牧ほかの人為的な要因により豊穣な大地が不毛の荒野になってしまったのではないか……と述べられています。私はこの点について現在の詳しい状況は知らないのですが、もしかしたら人為的な大地の回復も可能ではないのかという気がします。

    その後、先に出てきたソドムとゴモラの謎に迫ります。実在していたのなら、どこにあったのか。途中、その町から逃げるときに振り返ったばっかりに塩の柱になってしまったロトの妻の話題が出て来ます。私はイザナギもオルフェウスも振り返ったばっかりに痛い目にあったことが思い起こされました。また、ロトの妻の話については、現地を知ると知らぬとでは大違いな話でした。ロトが災厄を逃れてついた町、ゾアルの話題も出てきます。どこにあったのか。本書が書かれた当時の、ですが「現在の見解」(P.67)としての推測が書かれています。

    そして、なぜ……というより「何で」ソドムとゴモラは滅びたのか。これも、本書の見解は推測以上のものではないのですが、現地を知っているのと知らないのとでは印象がかなり変わってくる話だと思いました。そして、ヨーロッパやアメリカの人たちも、そんなに本書に書かれている話は知らないのだろうな、と考えています。

    その他、ノアの洪水、モーセの十大奇跡、紅海の奇跡について触れています。前の二つについては可能性に触れただけと言っていいでしょう。後の一つについてはP.112に「たぶんここでいう『紅海』というのは、沼沢地帯に生えている『葦(あし)の海』つまり Reed Sea が誤って、Red Sea と訳されたのではあるまいか。」との話で、ヘブライ語やアラム語、もしかしたらラテン語まで範疇に入れて、それらの言語でも同様に通じる議論ならいいのかもしれませんが不安です。

    また、本書によるとモーセの十大奇跡と紅海の奇跡は紀元前1400年代の初め頃か、あるいはその100年以上あとのラメセス二世の在位の期間に起こったのではないか、ということですが、本書でのキーパーソンならぬキー火山といえるサントリーニ火山はその時期に噴火した記録が無い(紀元前1613±7年の次が紀元前197年)ので注意が必要です。

    ここから地震の話が多くなります。民数記16章31~35、47~50、20章1~11、13、エリコの城壁が崩れ落ちた話が地震と絡めて語られます。城壁という言葉からそれが頑丈なものであると思いがちです。しかし、それは案外もろいものだったのではないか、という話もあります。

    最後に、地質調査の話が出てきます。長い年月をかけて造山運動がここで起こっていたことがわかったのですが、詩篇104篇5~8はその造山運動を、ゼカリヤ書14章4~5、アモス書8章9~10、詩篇114篇3~8、同39篇14~15は地震とともに地盤、大地の動きをも語っているのではないか、という話です。少し後のP.174の出エジプト記19章18の解説もそのニュアンスを匂わしています。私は詩篇39篇14~15については、当時の人々にとって「地の深い所」は民俗学的な意味は無いのか、気になりました。

    全体を通して言うなら、今もそうかもしれませんが資料が少ない時代の話なので推測が多くなるのは仕方がない面があると思います。更にいうなら、本書カバーの記述によると著者は東京文理科大学(現・筑波大学)理学部地学科を卒業した構造地形学専攻の理学博士であるので、地震や地盤の話に重点が置かれるのはある意味当然ともいえるでしょう。ただ、その箇所の語り口に少々強引なものを感じたのも確かです。繰り返しになりますが本書は1980年に出版された本であり、現在の知見ではないことを考慮して読まれることをお勧めします。
     
     
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    どうするどうなる死後の世界。


    今回は「天国と地獄」序曲のおなじみの部分です。
     

     

    以下、聖書に関連したアイテムです。

    ※岡村靖幸のアルバム「靖幸」の5曲目は「聖書(バイブル)」。
    聖書考古学はいつか読もうと思います。


  • 日米同盟のリアリズム(小川和久著・文春新書) 感想

    北朝鮮。中国。日本はいい国だと思いますが、なんでよりによって軍事的に厄介な国と隣り合わせなんだろう……もっとも、案外世界のどこでも似たような悩みを抱えているかもしれませんが……そして、これらを念頭においた場合、日本の国防はどうすればいいのか、というかそもそもどう考えることから始めればいいのだろう、と思って手に取りました。

     
    私は、先に述べたお菓子と同様に軍事についても人に言えるほどの知見を持ち合わせているわけではありません。なので、基本的に批判はできないのですが、大事な論点についてはこうして本の紹介をしつつ少しずつ知識を積み重ねることから始めようと思っています。

    本書はまず、日米同盟解消(=自主防衛)の可能性を「コストを試算! 日米同盟解体 ―国を守るのに、いくらかかるのか―」(武田 康裕・武藤 功著、毎日新聞社、2012年)から引用する形で検討しています。その結果、今より毎年22兆円から24兆円も余分に費用がかかる、というのが結論です。なお、自主防衛と核武装についてはP.44以降でも述べていて、いずれも非常に困難な印象を受けました。

    なので、日本としてはアメリカと同盟を組むしかない。しかし、何にも増して重要なのは、「アメリカも日本と組むしかない」ということです。なぜなら、日米同盟が解消されたら「米国は『地球の半分』の範囲で軍事力を支える能力の80%を喪失」(P.22)して「米国は世界のリーダーの座から滑り落ちる可能性が高い」(P.22)からで、アメリカの政治家と高官はそのことを認識しているだろうから、私としては「日本無しならアメリカファースト無し」とまで言い切っていいとすら思えてきました。ええと、“NO JAPAN, NO AMERICA FIRST.”? 私たち日本人もそのことを自覚して、変にオクテになったりせず「我々は良き友人だよな」と言いながらアメリカと向き合っていっていいのではないでしょうか。

    とはいえ。仮にアメリカが世界のリーダーでなくなったら、それがどうアメリカにとって不利にはたらくのか、具体的に考えると少し想像し難い面もあります。今、離脱したTPPに色目を使っていたりしているのですが、貿易協定で不利な条件を飲まされたり、反米的になりかねない軍事同盟を組まれて潜在的なリスクとなったりするとか、そんな状況があちこちで起こるようになる感じなのでしょうか。もしかしたら、渡航や外国への送金が制限されるとか。そして、それらをアメリカの政治家や高官、国民がどこまで考えられるものなのか。考えるのは難しいとしか言いようがないです。

    アメリカは日本を手放さない、というのが著者の見方で、その立証のために様々な行為は証言を取り上げていますが、それに反する行為や証言はないのか、というのが気になったところです。あるいは、将来本当に日本よりも中国やロシアに傾倒することはないのか、とか……

    また、映画「スノーデン」の監督オリバー・ストーンのインタビューが掲載されていて、「『(略)スノーデン氏は(略)日本のインフラに悪意のあるソフトウェアを仕込んだ、(以下略)』」(P.40)とあり、著者はスタックスネットではないかと推測しているのですが、日本中のインフラに大規模な影響を及ぼすソフトウェアを仕込むことがそもそも可能なのか、そこは気になりました。

    次に、北朝鮮について述べています。日本にある国連軍基地。国連軍後方司令部。朝鮮国連軍。耳慣れない言葉ですが、いずれもこの問題については重要な事柄です。それが有事にどう作用するのか。外務省の朝鮮国連軍地位協定のページにまとめて書いてあるのでこの際一通り読んでおきましょう。社会の授業ではこういうのやっていないんだろうなあ、国防とか。そして、北朝鮮の軍事力は?ミサイルや金正恩斬首作戦、米朝の外交についても詳しく語っています。これについては明確な言葉で語られることが少ない以上推測せざるを得ない部分が多々あるので、本当にそこまでの意味があるのかただただ難しいものだな、と思います。P.139以降の北朝鮮の国家建設のモデルについても、確かに私は北朝鮮についてそのような考え方を抱いたことはなかったので興味深かったです。

    最後に、中国について記されています。ここも推測に頼らざるを得ないところなので本当にそうなのかと改めて問われると自信がもてない箇所です。「中国の軍事行動に大騒ぎするだけでは、中国の思う壺にはまっている面があるのだ。」(P.172)と書かれているのですが、私はそうとも限らないと思いました。今の共産党政権が弱体化して中国が民主的国家になったら、もしかしたら日本に対してもっと攻撃的になるかもしれない。最近反日デモのニュースは聞いていないのですが以前はすごかったことを覚えています。

    また、中国の艦船が尖閣諸島あたりの海域に近づくたびに「中国はやっぱり怖い、改憲して戦争のできる国家にならないと生活が危ない! #九条改憲」て感じのツイートが溢れて九条改憲がツイートにトレンドワード入りするようになれば、中国政府としても日本の世論の動向はチェックしているだろうから、日本に対する中国の見方というか対応も少しは変わってくるように思えるのですが、どうでしょう。そんなことを考えました。

    そして領海侵犯や防空識別圏、尖閣問題に対する著者の見方が語られています。尖閣問題については「禁反言の法理(エストッペルの法則)」というこれまた耳慣れない言葉についての説明があり、その法理の先にどのような帰結を目指しているのかが記されています。ここで文中に出て来た西恭之(にし たかゆき)氏がNewyork Timesに寄稿した論文のリンクを貼っておきます。
    英文 The Diaoyu/Senkaku Islands: A Japanese Scholar Responds
    中国語 中国的钓鱼岛诉求自相矛盾
    (静岡県立大学 グローバル地域センター)
    日本語 中国は国際法的にも尖閣諸島を放棄している

    そして……南シナ海、九段線、南沙諸島(スプラトリー諸島)……これらの軍事戦略的意義と「航行の自由作戦」のような情勢、それにつながる「三戦」(注:もちろん空手の型の話ではない)についての話があります。世界に尽くして、それをきちんと主張した国がそれ相応の発言力を得るのは当然の話であり、「(略)日本版の三戦でやり返すほどの国家に成長することが求められているのは言うまでもない。」(P.210)ことをより一層行うのは色々大変だよなあ、と思いました。例えば、軍事的貢献が重要な意味合いを持つなら九条改憲が視野に入ってくるわけで一筋縄ではいかないことだろうな、と。とりあえず今は東京オリンピックを無事にこなすことが大切な課題なのでしょう。こうしてみると、なんかオリンピックって形態は違えど参勤交代に近いものを感じます。

    あと思いついたのは移民で、情勢によっては人道的理由で国際的圧力がかけられて今以上に受け入れざるをえない予感がします。予感にすぎませんが。ただ、うまくいけば……つまり、国民にあまり負担(特に心理的なもの)をあまりかけることなく、かつ移民してきた方々(特に二世以降)が母国より日本っぽいもの?(漠然としか考えてないのでここではこの表現にしておきます)に心を寄せて日本の国益を重視するようになれば、というかそのように国外の人々を日本社会により多く取り入れるノウハウが確立できれば、ある程度少子化対策になるだけではなくそれによって調和を保ったまま活気が増すことによって国際的に優位にたつとともによりよい暮らしが保てると思います。

    言い直すなら、移民してきた方々の価値観に日本っぽいものが占めるほど、その方々が接する国民の満足度を下げない確率が大きくなるような、そんなイメージで考えています。付き合いやすい移民の方々ととっつきにくい日本国民とどっちと付き合いたいか想像すると、人格を重視するなら価値観に日本っぽいものが占めるのは必須ではないのですが、価値観の異なる相手と付き合うことで生じる価値観の押し付け合いを避けたい心理があることは否定できないと思います。故に、価値観に日本っぽいものが占めるのと付き合いやすさはあくまでも確率の問題にすぎない、という言い方のほうがいいのかな、と。

    ここで唐突に小中学生に同学年の外国人との交流を最低半年に一回は必須の授業として行うことを考えてみたり。

    あと本書について述べるなら、2017年7月20日第1刷の本ですので、その後の情勢、特に北朝鮮のミサイル実験について著者はどのような見解を示しているのか気になりました。また、北朝鮮と中国の潜水艦や中国の空母については、今はそんなに恐れなくてもいいのかもしれないけど5年後、10年後はどうなっているかわからない、という意味で騒ぎ過ぎはよくないが警戒は怠らないようにしないといけないと考えています。

    日米同盟とそれに関わる周辺国との軍事的問題の論点は一通り書いてあったので買った甲斐がありました。更にこの問題について考えなければならないのであれば、この本の知識に継ぎ足すように他の本を読んでいけばいいと思います。

    あと、著者に関することで述べておきたいことがあります。沖縄の普天間の空港問題について、「キャンプ・ハンセンへの移設案、具体的にはハンセンの演習場内ではなく、海兵隊の建物の地下にある旧チム飛行場のあと」に飛行場を建設する旨を提案しているのですが、どうなんでしょう。ニュース番組とかあまり積極的には見ていないのですが、あまり聞いたことのない案だと思いました。果たしてこの案は可か否か。もっと多くの方に取り上げて、検討していただきたい話だと思います。
     
     
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    今回はこの曲!


    「疾風(はやて)」です。
     

     

    以下は軍事関連本の特集です。

    「陸上自衛隊の素顔」は興味深い内容でしたので機会があればブログで取り上げます。


  • ひとりぼっちを笑うな(蛭子能収著・角川新書) 感想

    ユルい。ユルい本です。考えがまとまりきらないうちに書いているようなところもあります。しかし、人付き合いに疲れたら……いや、「人付き合いしなければならない、という声」にうんざりした方にはこの本をおすすめします。このユルい本が存在していること自体が、人付き合いをしなければいけないのではないか、という類の観念を含めた堅苦しく感じがちな世の中に対する別の考え方、つまりは生き方を提示しているからです。

     
    本を書く行為が「優れている者が教えを広める」構図に含まれる以上、一般的に著者の言葉はどこか説教臭く、最近の言葉でいうならいわゆる「上から目線」になりがちです。それは、どこか成功者のイメージと重なるところがあって、他人より秀でて、かつそれを自覚している人の意見しか世の中に流通されないのではないか、言い換えるならあまり上手くいっていない人の意見は世に出回らない、という認識に繋がっていくのではないかと思います。その結果、人は多く出回っている意見ほど「正しい」と判断しがちなので、結果として上手くいっていない(と自覚している)人はその意見とともに駆逐されがちになるのではないか……そう思われている方もいるかと思います。

    しかし、この本の著者、蛭子能収は初めのほうで自分を控えめな存在として書いています。例えば、P6.の「僕は漫画家だし、誰かに物事を教えられるような人間でもない。」のように。それもまた、先に述べた状況とは逆に、自分が他人より優れていると思っていなくてもその意見が世の中に出回り、多くの人の目に触れる可能性があることを示す、いい例になっていると思います。そして、そのような意見が心の拠り所となるならば、上手くいっていない人にとって結構救いになる状況になるのではないでしょうか。

    なお、この本はユルいことだけを書いているのではなく「これだけは守るように」ということも書いています。一定の節制はあるのですが、それでも、世の中生きづらいと感じている人にとっては心を休ませることができる良い本だと思っています。

    最後に。P.135に「近所の貸本屋に行って、いわゆる”劇画”と呼ばれるようなものを好んで読むようになったんです。水木しげるさんや、さいとうたかをさんなどの漫画が載っているような部類の雑誌です。」とあったのですが、水木しげるの書いた物、例えば「ねぼけ人生」(未読)とかと読み比べてみるのもいいかもしれない、と思いました。
     
     
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    今回はユルく聴ける曲をどうぞ。


    「小鳥の小躍り」という曲です。
     

     

    以下、蛭子能収に関連したアイテムです。


  • 聖書の起源(山形孝夫著・講談社現代新書) 感想

    今回は講談社現代新書の山形孝夫著「聖書の起源」を紹介したいと思います。この本の良かったところはタイトルの聖書の起源について事細かく論じられていたこともさることながら、思いのほか聖書以外の神話の影響について記されていたことでした。そういう風に聖書をとらえることには興味があるので読んでいて楽しかったです。

     
    さて。本書について語る前に、以前このブログで紹介した「天使とは何か」(岡田温司著・中公新書)についてまとめておこうと思います。といいますのも、この本も他の神話からの影響について触れていて、それを一覧にすることで聖書なりキリスト教なりをより良く把握する手助けになると思うからです。ま、私なりの備忘録ということで。

    「天使とは何か」で指摘されていたのは以下の通りです。
    ・天使にキューピッドの要素(愛の矢)を取り入れる
    ・タナトス、ヘルメス、ニケー、イリスには翼(の要素)がある
    ・裸童プットー(プシュケー)、アモリーニ(愛神アモル)、バッコイ、小精霊スピリテッロ(スピリット)の影響
    ・キリストの「精霊」や天使はギリシャ語の「プネウマ」(気息・精気)から
    ・智天使ケルビムの語源はアッシリア語・アッカド語の「ケルブ」「クリブ」(偉大な・強大な、祝福された・崇拝された)
    ・ケルビムの姿はラマッスなどのメソポタミアの守り神たちが起源
    ・古代バビロニアの有翼の守護神マルドゥック、ゾロアスター教の守護霊フラワシのイメージ
    ・古代ローマの有翼少年の守護霊ラレス
    ・堕天使とティタンの神話との類似性
    ・ダイモンに関する言及
    ・ギリシャの精霊サテュロス、メソポタミアの精霊シェドゥ、シリアの雷神バァルの悪霊(悪魔)化

    では、本書「聖書の起源」の感想について。兄カインの農産物ではなく弟カインの畜産物を神は選んだ、という話と並行してメソポタミア神話での女神が牧畜神と農耕神のどちらを選ぶか、という話が紹介されています。こちらも勝ったのは牧畜神。私は日本神話の海幸彦(兄)と山幸彦(弟)の話を思い出しました。勝ったのは山幸彦(弟)。あと、これは少し趣が異なるかもしれませんが、かぐや姫に五人の貴公子が求婚したらレアな品を要求されたとか、そういえばヘラクレスの神話もアレとってこいコレとってこいとか言われていたことを思い出しました。これらの話がどこまで関連性があるのが気になるところです。そして農耕者と遊牧者の争いはヤコブとエソウの代に持ち越され、今度は農耕者ヤコブの勝ち。土地取得の話も加わって、これらは遊牧から農耕への民族的移行を意味しているのではないか、とのことです。

    続いて、P.58から出エジプト記は「祭儀の折に朗誦される式文」「ドラマとして演じられた一種の祭儀劇」だったのではないか、という北欧祭儀学派のペデルセンの説と、それに関連して古代オリエントの過越祭(ペサハ・魔除け-旅出-収穫祈願の祭り)が紹介されています。また、P.65にいわゆるモーセの十戒のシナイ顕現伝承はこれも古代オリエントの収穫祭が起源の「仮庵(かりいお)の祭で朗誦された祭儀文」なのではないか、という伝承史学派のラートの説も出てきます。うーん、そこまである意味史実性が無いと言い切っていいものなのでしょうか。そして、本書は1976年発行なのですが、もしかしたらこれらは現在では定説となっているのでしょうか。これ以上は何とも言えないです。

    少し話しが逸れますが、P.68からの十戒の話は意表をつかれた感じで面白かったです。戒律は本来は禁止命令ではなく断言的形式の律法であり、直訳すると「(略)~はないだろう。あるはずがない」となるそうで、これは背反行為の衝動の抑圧ではなく強い選択意志の表現、とのことです。

    この後、砂漠の唯一の神ヤハウェの教えが農耕化に伴いカナン地域のバァル神話の影響で多神教化していきます。本書ではバァル神話が、そしてその原型といわれるギリシャ世界のアドニス神話が詳細に紹介されています。その際、エジプト神話などにも少し触れています。季節のサイクルから着想を得た死と再生の物語は、キリストの復活劇に影響を与えているのではないか、そして、大地母神に対して死と再生を演じたのは男性の穀物神ですが、都市国家の崩壊とともに古代フェニキアのエシュムン神やギリシャ神話のアスクレピオスのような遊行する治癒神なったのではないか、ということが述べられています。なお、本書ではアスクレピオスのことを「素性の知れない神様」と書いていますが、Wikipediaのアスクレピオスの項目には「アポローンとコローニスの子」と記載されていたので、ここは少し気になりました。

    次に、なぜ聖書にはイエスによる病気なおしの話が多くあるのか。イエスに先行した洗礼者ヨハネにはそんな話無いのにです。それは、民衆の支持を得た治癒神たちと競合する状況にあったのではないか、という推測から話が進められていきます。イエスの病気なおしの舞台となったガリラヤはユダヤ教とオリエント的-ヘレニズム的宗教とが混淆しており、また治癒神信仰の一拠点でもあるフェニキアの都市シドンと近いところでした。福音書記者マルコは、その当時のガリラヤの状況を強く意識して聖書を記したのではないか……ということが、上記以外の要素も加味して述べられています。

    そして、キリスト教が権力の助力も得て宗教的勝利者となり権力を支える背景になると同時に、イエスの治癒神的な側面が今度はイコン崇拝と聖母マリア信仰に移行した、また、聖母マリア信仰にカナンの女神の影響がある、というのが本書の論です。私は、そういう面もあるのかもしれませんが著者ほど強く断定できるか、というともう少し証拠というか根拠とすべき論が欲しいところです。

    ただ、「天使とは何か」で述べられていた天使信仰や、あるいは聖人信仰などキリスト教には多神教的要素も案外あると思っています。

    (参考) Laudate(ラウダーテ) 聖人カレンダー365日

    本書の最後に、最後の晩餐は過越祭と死と再生の物語が合わさったものであること、そして、福音書がW・ヴレーデやJ・ヴェルハウゼン、カール・ルードヴッヒ・シュミット、ルドルフ・ブルトマンの言を引いて、そして例をあげて、いかに編集され、変えられてきているかが語られています。P.191では「マルコ福音書を構成する伝承群は、イエスの受難物語という、ただひとつの例外をのぞいては、個々の独立した断片からなっていた。」とまで言われています。P.205の「明白なことは、伝承を生みだしたのは、イエスに関する歴史的関心ではなく、教団自体の生活に根差した要求であったということである。」というのがこれまでの論のまとめといえます。

    それにしても、先の本(「天使とは何か」)で天使になぞらえられたと思えば本書では治癒神と比較させられたりで、つまりイエス・キリストには様々な側面があるわけで、そのこともまた、聖書が編集された……言い換えれば、よく考えてつくられた……ことを示しているのではないか、と思った次第です。
     
     
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    今回はこの曲、


    「呪い、魔王とメシア」歌は穂歌ソラさんです。
     

     

    以下は聖書関連の特集です。

    ※岡村靖幸のアルバム「靖幸」の5曲目は「聖書(バイブル)」。いい曲。