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  • 人名の世界地図(21世紀研究会編・文春新書)感想

    ネットであれこれネタ話を見ていくうちに創作のためのブックガイドの記事を見かけてあの本がいい、この資料がいい、そんな話をきいたことがある人もいるかと思います。この本もそういう使い方ができて、たくさんの人名だけでなくその語源も載っているのでキャラクターづくりの助けになるのではないか、作家とか目指している方には知っておいたほうがいいのではないか、そんな感想を抱きました。

     
    本書のおよそ2/3がヨーロッパ・アメリカ・ロシアの人名です。中国・朝鮮半島の人名はそれぞれ章立てされています。また、アジア・アフリカがまとめて一章となっています。ヨーロッパ・アメリカ・ロシアの人名については聖書関連の名前について一章が設けられているのですが、それ以外の章でもキリスト教に関する話題がそこかしこに出て来るので、かの教えの影響の強さを感じずにはいられませんでした。

    ちなみに目次(章立て)は以下のようになっています。

    第1章 名前にこめられた意味
    第2章 聖書がつくった人名の世界地図
    第3章 ギリシア・ローマ-失われたものの伝説
    第4章 花と宝石に彩られた女性名の反乱
    第5章 コナー、ケヴィン-ケルト民族は生きている
    第6章 ヴァイキングたちが運んだ名前
    第7章 名前でも迫害されたユダヤ民族
    第8章 姓氏でわかった中国三千年史
    第9章 先祖の名とともに生きる朝鮮半島の人たち
    第10章 アジア・アフリカの人名地図
    第11章 黒人奴隷に押しつけられた名前
    大索引 人名は「意味」の宝庫

    最後の「大索引」には、おもな欧米人の名前、ロシア人の名前とともにインド人の名前が、簡単な由来の記述とともに列記されていて見ごたえがあります。

    本書で得た知識。「奥様は魔女」の魔女サマンサの旦那はダーリンと呼ばれていたが、あれは愛しい人を意味する「darling」ではなく、固有名詞「Darren」だとのことです(P71)。


     
     
    それでは一曲どうぞ(0:15から)。


    沢田研二「ダーリング」です。
     

    あと、本書のP145に「アイルランド、スコットランドは伝統的にカトリック教徒が多く、ローマ法王に反旗を翻してイギリス国教会(プロテスタント)を成立させたイングランドとは、深い対立の根をもっていた。」という記述があるのですが、「イギリス国教会(プロテスタント)」と言い切っていいものか疑問です。参考までに、以下のリンクを挙げておきます。

    ウィキペディア:イングランド国教会
    世界の歴史まっぷ:イギリス国教会の成立
    日本聖公会横浜教区 浜松聖アンデレ教会:聖公会とは(その1)

    名前の由来を語ることは、自然とその土地の歴史やキリスト教をはじめとする宗教、神話を語ることにつながります。もちろんそればかりではなく、地名や命名規則(例 ~の息子を意味する、等)、文学などの作品が元となったものもあり、それらを通して様々な考え方が垣間見えるのが民俗的な意味合いを感じられて良かったです。

    それでは、最後にこの曲を!


    ゴダイゴ「ビューティフル・ネーム」です!
     

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    今回は文春新書の世界地図シリーズと名前・人名本の特集です。

    下段中央は「名字と日本人 先祖からのメッセージ」です。


  • 小室哲哉ぴあ TM編(ぴあMOOK) 感想とTM NETWORKについて

    ブックオフで見かけて手に取り、アルバム曲の全曲解説を見て購入しました。奥付の発行日は2014年5月30日で、対象アルバムはSPEEDWAYまでです。TM NETWORKのメンバーの対談や渡辺美里、あるいはスタッフの話など非常に濃い話が多くて読み応えがありました。他にソロワークにスポットをあてたTK編とglobe編もあります。

     
     
    以下、本書(TM編)の主な内容を列記します。

    —————————————
    TM NETRORK30周年メンバーミーティング
    小室哲哉×宇都宮隆×木根尚登

    小室哲哉×丸山茂雄(EPICソニー創始者)スペシャル対談

    小室哲哉によるアルバム全曲解説

    レーベルメイト渡辺美里が語る3人の魅力
    作詞家・小室みつ子が語るTMの世界観
    小坂洋二プロデューサーが語るTMの魅力
    ブレイクポイントに立ち会った山口三平(担当ディレクター)が語る

    浅倉大介×葛城哲哉が語るTMライブ秘話

    デザイナー鈴木好弘が語るファッション

    府中の森からロンドンまで。 TM NETWORKゆかりの地へ

    著名人&関係者が語る「わたしとTM NETRWORK」(佐野元春/大江千里/土橋安騎夫(レベッカ)/岡村靖幸/ミト(クラムボン)/T.M.Revolusion/Sinnosuke(SOUL’d OUT)/西村麻聡、北島健二、山田わたる(FENCE OF DEFENCE)/野本かりあ/渡部建(アンジャッシュ)/DJ KAYA//kiyo(Janne Da Arc)/DJ KOO/田辺晋太郎/坂本美雨/DJ 和/住吉美紀/RAM RIDER/他)※1ページ1人から3人の小コーナーです。
    —————————————
     
    TMネットワークは……他のバンドやアーティストにもいえることですが、中学高校の頃はラジオのリクエスト番組(電話でリクエストを受け付けることが多かった。当時、eメールは無い。)で音楽を聴くことが多く、そこでは「以前のアルバムの曲」が放送されることがあって、特にアルバム曲については発売された順番とその曲を知った順番が一致していないことが多かったので本書のアルバム曲の解説はその整理に役立ちました。CDアルバムを沢山買うようになったのは社会に出て金が入るようになってからです。学生だった当時はそんな好きなバンドや歌手のCDアルバム、あるいはレコードを発売されたら買うなんて無理でしたので。

    そしてTMネットワークを知った初期から、テレビのベストテン番組(視聴者からのリクエスト葉書の数や、番組によっては有線放送で放送された順位などで出演者を決める音楽番組。番組内でその順位が公表される。くどいようだが、当時eメールは無かった。)とか見ていてもなんでもっと売れない、上位にいかないのだろうと思ってましたので、本当に売れて良かったです。テレビ番組に出演して演奏した時点で認知はされているはずなので、売れるには「売れている」……つまり、売れていることが好きになる要素として大きいものなのか、今、少しそんなことを考えました。

    TM NETWORKの作品についてはアルバムを取り上げるかたちでいつか書こうと思います。いつになるか見当もつきませんが、読んでいただければ幸いです。
     
     
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    今回はこの曲です。


    UDM。
     

     

    もちろん小室哲哉とTMネットワーク関連の特集です。


  • よみがえる卑弥呼(古田武彦・朝日文庫)感想

    「出雲風土記が江戸時代に改ざんされていた」?今まで色々と日本の歴史に関する本を読んできたのですが、この本の最初の話は相当ショッキングな部類に入るでしょう。出雲風土記に「朝廷」の文字がある。大和朝廷のことだろう。しかし、冒頭の一文から「宮」の字を削られていたら?細川本、倉野本、日御崎本、六所神社本の冒頭にはこの「宮」の字が残っている。となると、ここでいう「朝廷」とは大和朝廷ではなく、杵築の地に支配者がいてその支配下にあったことを示しているのではないか……

     
    今までブログで取り上げた日本神話に関する本、上田正昭著「日本神話」(岩波新書)と平野仁啓著「日本の神々 古代人の精神世界」(講談社現代新書)はこの点には触れていませんでした。ただ、今後は日本神話、特に出雲神話に関する箇所を読む場合は上記を注意して読む必要がありそうです。

    ここで本書の説明を。全部で十篇の文章からなっていて、そのタイトルは以下の通りです。

    第一篇 国造制の史料批判-出雲風土記における「国造と朝廷」

    第二篇 部民制の史料批判-出雲風土記を中心として

    第三篇 続・部民制の史料批判-「部」の始源と発展

    第四篇 卑弥呼の比定-「甕依姫」説の新展開

    第五篇 九州王朝の短里-東方の証言

    第六篇 邪馬壹国の原点

    第七篇 日本国の創建

    第八篇 好太王碑文「改削」説の批判-李進煕氏『広開土王陵碑の研究』について

    第九篇 好太王碑の史料批判-共和国(北朝鮮)と中国の学者に問う

    第十篇 アイアン・ロード(鉄の道)-韓王と好太王の軌跡

    では続きを。その後の議論を読むと想像力で空白を埋めて読者の思考を追い込むような言い方、「そのように解する他ないからである。」「以外の何物でもなかったのであった。」「そのように見なす以外の道は存在しないであろう。」「肯定せざるを得ぬ、」そんな感じの表現が頻出していて、心の中で距離を置いて判断したほうが無難なように思いました。特に、あまり話題に取り上げられない着眼点については一層強くそう感じました。下手に感銘を受けて考えが偏るよりも覚えていないほうがよっぽどましというものです。本書の初出は1987年。著者がおよそ3年後に偽書「東日流外三郡誌」に入れ込んだ背景にはこういう思考様式が影響したのではないか、そんなことも考えました。

    本書はそれ以降も、同様に江戸時代の国文学者によって改ざんされたと思われる箇所の列挙と、改ざんされる前の文章からの推測などがつづられています。手が入れられた箇所が結構あって驚いたり、また、にわかには信じがたい論もあって、卑弥呼が筑後風土記逸文に記された甕依姫(みかよりひめ)である、「里」は1里が76m~77mの短里である、などという話を読むたびにちょくちょくウィキペディアで確認したりもしました。後者について中国の研究者はどのような見解なのか気になります。また、改ざんとは関係ないのですが、「法は、律令に非ず」という話も、学識がない私のような読者が踏み込んだ判断をしてはいけないように感じられました。

    卑弥呼については、その政治的地位の大きさから何かの書に書かれていてもおかしくはないが、その書が現存しているとは限らない、例えば失われた風土記に記述された可能性もあるのではないかと考えています。

    また、魏志倭人伝の「邪馬壹国」が江戸時代に「邪馬臺国」に改定された、という話もでてきます。Wikipediaの邪馬台国の項目によると、

    ・現存する「三国志(魏志倭人伝)」(晋の時代に陳寿(233~297)が編纂)の版本では「邪馬壹國」
    (最古のものは、12世紀の宋代の紹興本(紹興年間(1131年~1162年)の刻版)と紹熙本(紹熙年間(1190年~1194年)の刻版))

    ・「太平御覧」(10世紀に成本)の「三国志」引用箇所は「邪馬臺国」
    ・「後漢書(倭伝)」(5世紀に書かれた)では「邪馬臺国」
    ・「梁書(倭伝)」(7世紀)では「祁馬臺国」
    ・「隋書」(7世紀)では「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」(魏志にいう邪馬臺)
    ・「北史(四夷伝)」では「居于邪摩堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
    (これらの正史は、現存の宋代の「三国志」より古い写本を引用、11世紀以前の史料に「壹」は見られない)

    とのことで、また、古田史学会報 57号のページによると、著者は「魏志倭人伝で邪馬臺国と呼ばれるのは問題だが、後漢書(倭伝)」で邪馬臺国と呼ばれるのは問題ない、という考えのようです。本書ではそこから「魏志倭人伝の邪馬壹国」は「壹」という国の「邪馬」という地域を指しているのではないか、という話になります。私はこのケースでは「邪馬壹国」という原文を提示した上で「臺の誤りか」という注釈のほうが筋としては通りやすい印象を受けます。「邪馬壹國」の表現についても、中国の研究者の意見も確認しておきたいところです。

    好太王碑文の改削説については、私が高校の頃に習ったときには「見解が分かれている」という話でしたが、今はどう教えているのか気になるところです。本書の説で改削は完全に否定されたということでいいのでしょうか。

    その一方で、もしかしてこれは覚えておいたほうがいいのかもしれない、と感じた点もあってP151の「部」の用語の起源の問題や、古代史において中国だけでなく朝鮮半島の資料にも目を配ることは押さえておいたほうがいいように思いました。

    読んでいて全般的にもう少し表現を抑えたほうがいいように感じました。久保帯人の漫画「BLEACH」の「…あまり強い言葉を使うなよ 弱く見えるぞ」というセリフをチラつかせつつ、この一冊で考え方が囲い込まれないよう自覚しながら読むのが丁度いいのでしょう。また、この本のことではないのですが、歴史本は外れだった場合は金も時間も精神力も失われるので難しいもんだなあと思う次第です。
     
     
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    今回はこの曲です。ロマンに想いを馳せられるよう……


    「水の鏡α」歌はUったんぽいでさんです。
     

     

    古代史の本を中心に集めてみました。右端は「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」です。

    下段右端は「蛇 日本の蛇信仰」、古代日本の蛇信仰の本です。


  • 写真美術館へようこそ(飯沢耕太郎著・講談社現代新書)感想

    本書の初版は1996年で、主に写真芸術の歴史的な移り変わりについて述べています。写真を撮る、そして写真を撮って自己表現することは、それこそ写真を撮るのに必要なカメラが発明されたときから始まり、そしてカメラやフィルムの技術の発展に連動して写真作品も新たな道を切り開いてきました。本書の解説はカメラの黎明期、壁の小穴を光が通って壁に景色が映る現象、小穴投影から始まります。

     
    カメラが発明され、白黒で露光時間も長いものの写真を撮ることができるようになり、そして写真家が誕生する。写真という新しい表現を、画家はどう意識していたのか、逆に写真家は絵画をどう意識していたのか。また、写真ならではの表現、芸術とは?そんな話が続きます。

    人間を撮る、とはどういう考えの元でなされることなのか。ヌード写真にも少しページを割いて解説してます。風景を、物体を、都市を撮るとはどういうことか。様々な対象の色々な写真を挙げて、これまでの写真芸術の歴史の説明が続きます。

    戦場を、社会を撮る、とは。これまで芸術寄りの話でしたが、ここから少しフォトジャーナリズムの話になります。人々の心を動かすための芸術ではなく、物事を伝達するための報道に適していることも写真の一面です。そして芸術の写真と報道の写真が一つに重なります。私、自分を撮る、とは。それが報道でもあり、芸術でもあることが実感できるでしょう。

    最後はまた技術の話になります。カラー写真の登場。カメラのフレーム(枠)の話。複製。インスタレーション(立体作品)の素材。ここで本文が一区切りつきます。

    注目した点をいくつか。「写真は選択の芸術」(P5)、「写真には意識よりも無意識のほうがよく写ってしまう。」(P6)は記憶に残りそうな言葉です。P137には「スフィンクスをバックに本物のお侍さんがたくさん写っている写真」が掲載されています。何があったのかは読んでからのお楽しみです(文章短いですが)。

    また、P142の写真家、ロバート・キャパの写真がブレている理由が記載されています。既に知られていることだとは思いますが、念のためここに記載しておきます。P145には、1991の湾岸戦争のときに話題になった「油まみれの海鳥」の写真についての話もあります。要は、情報操作が行われたやつです(参考:湾岸戦争でテレビは何を伝えたのか(PDF)P15 – 大手前大学・大手前短期大学リポジトリ)。私自身はこの写真を「鳥が汚れるより人が死ぬことのほうが大ごとなのになあ」と思いながらその写真を見た記憶が、あいまいながらあります。

    ここで、改めて本書の構成の説明をします。本文はP207までですが、写真のため品質の高い紙を使っているので普通の新書より厚めです。また、カラーページもあります。そして、本文とは別に本を後ろのほうからも開いても読めるようになっています。つまり左開き右とじの縦書きの文章の他に、右開き左とじで横書きの文章のパートもあるわけです。

    このパートに写真の出典の他に写真集のガイドがあって、その文章がその写真集を見たくなってしまう、という意味で上手いです。「しかし結局のところ、その写真集の評価を決定づけていくのは読者の想像力なのではないかと思う。」(P220(16)、(16)は横書きパートでのページ数)とか、「写真集と読み解くために、写真家たちが一歩先に既視のイメージとしてさし示す世界像を受けとめ、見透かしていく想像力を鍛えあげていかなければならないと思う。」(P219(17))とか感心しました。美術館・ギャラリーガイドも豊富で、写真芸術という文化の入門書として至れり尽くせりで、写真の世界に初めに触れるのに本当にいい本だと思います。
     
     
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    今回はこの曲、


    「ドップラー校歌」 歌は朝音ボウさんです!
     

     

    今回は本書で紹介された写真集です。洋書はあまり詳しくないので、よくご確認の上ご購入願います。

    ダイアン・アーバスは英語版と日本語版の二つ用意しました。「1992年に筑摩書房から日本語版が出たが、残念なことに一部墨塗りの無残な形だった。」(本書 P221(15))とのことです。

    「筑豊のこどもたち」も二つ用意しました(出版社が異なります)。


  • 民主党政権 失敗の検証(日本再建イニシアティブ著・中公新書)感想

    人間、歳をとると十数年以上前のことでもつい最近のように思えてくる記憶がある一方で、数年前ともなると覚えているようで覚えていない、そんなこともあると思います。民主党が政権を担ったのは2009年9月から2012年12月までなのですが、そのときのこと、特に身の回りのことや、どんな仕事や生活をしていたか、思い出すのはちょっと難しいのではないでしょうか。ましてや政治のことなんて……ねえ。

     
    本書は民主党政権の成り立ちから終焉までに民主党内でどのようなことがあったか、民主党の中枢を担った議員に対するヒアリングをはじめ綿密な調査を行いまとめたものです。なぜマニフェストが達成できなかったのか、なぜ党内がまとまらなかったのか、民主党政権の功罪をどうとらえればいいのか、そんな問題提起を考える一助になります。

    序章「民主党の歩みと三年三カ月の政権」からして、民主党の政権取得以前からの経緯、変遷がわかりやすくて助かります。P10の「過去の検証だけでなく、日本の議会制民主主義の将来のために活かすべき教訓は何か、という視点を大切にした。」とのことで、今後の政権をみるためにも本書を参照して考えるのは有益でしょう。

    マニフェストを扱った第1章「マニフェスト-なぜ実現できなかったのか」の、P22からの「積み重なる新規政策」を読むと、精神的な切り替えが難しい、そんなことも迷走の原因になっていてただただ政党運営の難しさを感じます。また、P29の予算の税収見積もりが46兆円から37兆円に落ち込む話なんてそもそもリスクとして管理できる話なのか、いくらなんでもこれは不幸の範疇に入れていいのではないかと思いました。P42からの「共有されなかったマニフェスト」は、マニフェスト一つとってもうまく運営しないと薬も簡単に毒に転じることを示していて恐ろしいものだなと感じました。

    そして、P34「参院選敗北と党内対立」の消費税とマニフェストをめぐる経緯には泥臭い人間ドラマを感じました。また、小沢一郎は選挙ウケを狙い、岡田克也、菅直人はまだ計画的に動いている印象がしました。

    政治主導を扱った第2章「政治主導-頓挫した『五策』」では、P55の総務省の話が心に残ってます。人材を各局にどう配置させるか、こんなところでもつまづくところはつまづく、難しいものです。また、P57の尖閣沖の中国漁船衝突事件で「連日のように官邸で仙谷を中心に船長の扱いが検討されていた。」のは覚えておいたほうがいい話なのかも。P58では野田政権が現実を重視するあまり政治主導が置き去りにされた様が描かれています。

    第3章「経済と財政-変革への挑戦と挫折」では、P104からの「事業仕分けの限界と可能性」は読んでおくべき箇所だと感じました。つまり、その目的はあくまでも透明化であって、財源の確保ではないということです。そして、なぜ一部を除いて査定大臣になれなかったのか、については(現時点の大臣、副大臣も含めて)一層考えていくべきことでしょう。当時、行政刷新会議事務局長だった加藤秀樹氏の言葉、「(略)最後は国民が政治を『自分事』と思うかどうかに帰着する」(P107)が胸にしみます。

    また、P112に予算制度の改革にあたってベースライン(現行の制度と最新の経済データに基づき、中期の歳入・歳出の見積もりをたてること)を導入しようとしたところ、財務省が反対してできなかったとあるのですが、なぜ民主党が省庁の反対にあったぐらいでできなかったのか、もう少しここは説明が欲しいところです。

    ただ、何につけてもそうですが、ここらへんの経済とかの話は特に自分だったらどうすればいいのかと問うと悩ましい話です。

    第4章「外交・安保-理念追求から現実路線へ」では普天間基地問題、先の漁船衝突事件、尖閣国有化の三つがメインとして語られています。この分野では、野田政権の現実主義的な対応が発揮されたといってもいいでしょう。

    第5章「こども手当-チルドレン・ファーストの蹉跌」を巡る話では、受給の際に所得制限をしないのであれば格差が広がるから本書の通りに累進課税を強化するべきだと思うのですが、なぜそちらの方向に民主党が行かなかったのが、これは今も疑問です。あと、「(略)女性が子どもを産みたくても産めない最大の理由として『経済力不足』が各種の調査であげられている(以下略)」(P168)とのことなので、働き手の収入が減る話が出てくるたびにこのことを少子化につながる根拠として思い出すことにします。

    P173の配偶者控除撤廃に踏み込めなかった話として「(略)二〇〇九年衆院選で大量の新人議員が登場し議員構成が大きく変わったことにより、『専業主婦を正当に評価するべきだと考える人が党内で増え、考え方が自民党に近づいてきた』」というのは興味深い論点です。つまり、党の意思決定はどのように決められるべきか、多数が主体となるなら場合によっては「変えられる」事態も想定されるわけで、そこはあくまでも当初の考えを堅持して新たな党員に誓約書を書かせて守らせるべきか、あるいは大量に入れることを避けて少しずつ取り込んでいくべきか、考え所です。

    第6章「政権・党運営-小沢一郎だけが原因か」の「特定の有用な人材を大臣間で競合して副大臣や政務官にとりあうようなこともおき、」(P204)という話が出て来て、これは前回記事にした「国会議員の仕事 職業としての政治」(中公新書)の津村啓介氏のエピソードと一致するところがあります。また、「(略)残りの二〇〇人で委員会運営までできるかといったら、非常にきつい」(P206)という海江田万里氏の指摘は興味深い話です。そしてP207からの「党の重点要望」の民主党内のやりとりも、力関係からの視点からみると重要な例であり、党運営の設計の難しさを感じました。

    P214の逢坂誠二氏の「(略)議論することと、決定することと、納得することにそれぞれ違ったものがあるということが分かっていない。(以下略)」やP219の辻元清美氏の「自社さ政権時代の野中広務さんのように、政権維持のため泥まみれになる覚悟や執念、政治技術をもって調整にあたる存在がいなかった」も貴重な証言といえるとともに、将来、同様に政権を担う党への警鐘ともいえるでしょう。そして、P226の「藤井裕久の役割」。獅子身中の虫とはまさにこのことで、「政権をとったら財源などいくらでも出てくる」という言葉の責任はもっと追及されて然るべきだと思いました(関連 P41)。

    第7章「選挙戦略-大勝と惨敗を生んだジレンマ」にも気になる箇所があります。P234の「いなかでの会話の伝達速度」の話をどう考えるか。これは、農村地域が政治情報に積極的に接していないから起こる現象なのか。それは、第一次産業の労働時間、あるいは労働時間帯と関係あることなのか。そんなことが浮かんで来ます。

    P237、P241の選挙区の問題について。国会議員は国政を語る存在なのか、地方の利益の代表者なのか。国政を語る存在に力点を置くなら、政務三役の経験者は国政を語る存在として比例区にしか出られないようにするのはどうか、とか、あるいは地方(居住地)による利害よりも職業や所得による利害のほうが大きいのでそちらの枠で選挙区をつくってもいいのではないか(この場合、他の枠の選挙区には入れない)とか想像しました。

    選挙制度についてもう少し付け加えるなら、(この本ではなく)時折、小選挙区制は与党が変わりやすく安定した政権にならないから問題なのではないかという声をきくのですが、倒れて然るべき政権がより倒れやすい制度である、と考えるとそう悪くはないと思います。そして、選挙制度を考えるのも大事ですが、有権者が政治をどうすればより考えるようになるか、を考えることも同じかそれ以上に大事なことでしょう。

    また、相手の足を引っ張るだけの政局国会(P238、248)の遠因には、国民が衆議院選挙・参議院選挙に出て戦うこと自体難しい現状があると思います。供託金なり選挙戦術なり明日からやれと言われても難しいことなので、供託金の額を減らし選挙ノウハウがもっと一般に知れ渡るようにすることで国民が立候補しやすい状況になれば、国会のグダグダぶりにあきれてだったら自分が仕切ったほうがまだマシと考える人もいるでしょうから、それが議員を牽制する意味も加味して少しは生産性の高い議会になるのではないかと考えてます。

    そのほか気になるところをピックアップ。P243「(略)与党でありながら政府の出した法案の審議をサボタージュして一切応じなかった」P245「(略)官僚から海外出張がチャンスと聞いていたので、これは財務官僚による洗脳の典型的な例だと思った」とかすごいです。後者、われわれは専門家の意見に全て対抗するには全ての専門的知識を身につけなければいけないような、ある種絶望的な気持ちにすらなります。

    P258「自民党政権を終わらせるのは、徳川時代を終わらせるぐらい大変な歴史的成果だった。(以下略)」や、P262の「しかし、民主党政権が抱えたさまざまな矛盾は、」の段落については後の部分も含めてその通りで、これからもどう接すればいいのか考えていかなければならない問題でしょう。

    終章「改革政党であれ、政権担当能力を磨け」のP271「『実務と細部』の欠如」の箇所が、このときの民主党政権について本当に的確にまとめていてなかなか読み応えがありました。こうしてみると、与党と野党は国政での役割と作業内容が全く違うことを当の議員、特に野党議員がどれだけ自覚しているか、どう自覚させるか、難問です。党のトップがそれをわかっていれば党員に号令をかけることもできるのでしょうが、わかっていなければ普段から有権者と議員とがコミュニケーションをとるとか、そんな手段しか思いつきませんでした。

    あと、P276の片山義博氏の「民主党を見ていて以前から危惧していたことがある。それは公約違反に対する無邪気さと鈍感さである」という指摘も覚えておこうと思います。

    全般的に思ったのは民主党の人材不足ぶりで、能力のある人間がいないから官僚に頼ったり、あるいは時間不足になる、それが慢性的に続いていたことです。いかにいい政治家を育てるかは基本的に政党のなすべきことですが、今後の日本にとっても重要な課題だと考えてます。また、事前に計画を立てたり準備する前に実行する、あるいは実行せざるを得ない状況になることが多いのも気になりました。この民主党のケースでは「与党慣れ」するまでは従来通りの与党であり続け、要領がつかめてきたら改革なり大胆な組織変更を行えばまた違ってきた気がします。もっとも、派手なことをマニフェストに書かなければ票をとれない一面もあるだろうから、それは有権者の問題でもあると考えています。

    あるいは、これからも日本の政治は無理なマニフェストの積み重ねとそれに記された目標に近づくことでした達成されないのかも、そんな気もします。マニフェスト自体あくまでも目標、お題目として割り切ってみたほうがいいのか、いえることは達成されなければ叩くといっても別の党にすればよかったかというと必ずしもそうとは限らないということでしょう。

    本書に苦言を呈すならP15の表に視力検査をされているのかと思わせるぐらい小さい文字があったことぐらいです。本書は(元)民主党を批判するためというよりも、将来日本の政治をどうすればいいか考えるための本です。そのために民主党のたどった道を振り返ってみるのは有用です。こういう良いまとめとなる本がこれ以降の各政権についてほしいと思いました。
     
     
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    今回は一息つくのに丁度いい曲、


    「春の遠足」をどうぞ。
     

     

    今回は政治の本の特集です。本書の参考文献もあります。真ん中の本は「政権交代 – 民主党政権とは何であったのか」です。