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  • 国会議員の仕事 職業としての政治(林芳正 津村啓介 共著・中公新書)感想

    興味があって買ったものの読む前は難しそうで文体が固い読み辛そうな本だと思っていたのですが、読んでみると文章も読みやすく内容もわかりやすかったので買った甲斐がありました。政治の、特にその内実がどんなものなのか知りたい方には強くおすすめしたいです。

     
    この本は、現在自民党所属の林芳正参議院議員と、同じく現在国民民主党所属の津村啓介衆議院議員(注:本書執筆時は民主党所属)の両氏によって書かれたものです。まず、その目次を以下に記します。
     
     
    はじめに (林芳正・津村啓介)

    I 国会議員になるまで

     1 「政治家の家系」ではあるけれど (林芳正)
     2 決意と戸惑い (林芳正)

     1 サラリーマン家庭 (津村啓介)
     2 政治家をめざす (津村啓介)
     3 若い力を国会へ (津村啓介)

    II 国会議員の仕事と生活

     1 行政の仕組みを知る (林芳正)
     2 大蔵政務次官・参議院副幹事長 (林芳正)
     3 小泉政権 (林芳正)

     1 国会という場 (津村啓介)
     2 国会質問 (津村啓介)
     3 政治とカネ (津村啓介)
     4 東京と地元 (津村啓介)

    III 小泉政権から政権交代へ

     1 安倍内閣 (林芳正)
     2 防衛大臣 (林芳正)
     3 二度目の入閣と自民党の下野 (林芳正)

     1 民主党の試練 (津村啓介)
     2 小沢代表のリーダーシップ (津村啓介)
     3 政権交代-二〇〇九年八月三十日 (津村啓介)

    IV 政権交代後の一年

     1 政権交代は必然だった (林芳正)
     2 民主党政権の諸問題 (林芳正)
     3 自民党は何をなすべきか (林芳正)

     1 政治主導の最前線 (津村啓介)
     2 国家戦略室の理想と現実 (津村啓介)
     3 民主党の経済財政戦記 (津村啓介)
     4 科学・技術政策と日本の未来 (津村啓介)

    V 「職業としての政治」を語ろう 対談 林芳正×津村啓介

    あとがきにかえて (津村啓介)
     
     
    上記のように、各テーマごとに林氏、津村氏がそれぞれ執筆し、最後の章で両氏が対談する構成になっています。

    本書には二つポイントがあります。一つ目は、両名の相違点と共通点については「はじめに」に書いているのですが、相違点は「参議院議員と衆議院議員」「自民党と民主党」「林氏は津村氏の十歳年上」「林氏は近親者に政治家がいたが津村氏にはいない」ことであり、また共通点は「(執筆時に)両氏とも選挙を三度経験している」「政治家以外の職業経験があり、海外から日本を見る機会を得ている」ことで、この対比が上手いバランスで好企画だと思いました。

    二つ目は、この本は2011年3月25日初版発行なのですが「あとがきにかえて」の日付は2011年2月で、つまり東日本大震災(2011年3月11日)の少し前に書かれているわけです。また、目次の通りに小泉政権時と2009年9月からの民主党政権後の一年について重点が置かれています。なお、民主党政権は2012年末まで続くので、本書執筆時は民主党が与党で自民党が野党です。よって、東日本大震災前までの小泉政権ならびに民主党政権の事情や評価を知る、あるいは確認する上で、それらの全てを語っているわけではないのですが、それでも丁度いい位置にある本だと思います。

    この本を読んで一番考えなければならないと思ったのは、どうすれば効率良く国会議員を育てることができるのだろうか、ということです。林氏、津村氏ともに国会議員になる前から非常によく勉強しており、議員になるべくしてなった存在だと思っています。しかし、その一方で政治に関係ない職業の人間を、地元の議員だった親や親類の知名度、あるいは芸能などの活動で得た全国的な知名度をあてにして候補者に推薦する政党がいる。あるいは、それらの知名度を考慮して出馬する立候補者がいる。そして有権者もつられてそのような立候補者に票を入れる。これはものすごく非効率的なことをやっているのではないか。また、津村氏は日銀出身だが、それでも一年半ブランクがあれば難しい状況になる(P110)。あるいは、林氏も防衛大臣になったときには徹底的に勉強している(P143)。両氏とも過去のの勉強の蓄積があったから各々の職を勤め上げたのだと思いますが、それでももう少しいい方法があるような気がします。

    将来の大臣候補を如何に育てるか。例えば外務大臣を目指すなら大学卒業後外務省に入省して実績を上げて政治家に転職するか、あるいは外務大臣経験者の政治家の秘書になってその後継を目指し数期当選してその後、ということになるのでしょうか。後者のほうが政治家の仕事を知り、かつ知名度を上げ選挙区との結びつきを強める上でいいような気がします。ただ、これは志望者側の話なので、政党のほうではどうしようかというと、各省庁や関連していそうな企業にアンテナを張ってスカウトするだけなのは消極的なので、政治塾とかつくって将来の大臣レベルまで射程に入れて養成する、あるいは全議員の秘書に希望する大臣のアンケートをとって先の政治塾なり勉強会にも通わせるようにする……うーん、書いてみてもうどこかでやっている気もしないではないのですが、今のところ考えついたのはこんなところです。

    以下、気になった箇所をいくつか。「永田町というところは、実年齢よりも『ここで何年議員をやっているのか』が優先される世界」(P26)というのは、先の話で何歳まで省庁勤めで何歳から出馬、とか考えるのなら覚えておいたほうがいい話でしょう。P62の政党助成金の話は、当初は批判があったのを覚えていますが、こうしてみると議員を希望する者に門戸を広げた役割をしていて、これはもっと広く知られていい話だと思いました。

    また、「国会議員になると、必ず何かの常任委員会に属することになる。」(P73)や「参議院の場合、一つの委員会に属したら、三年やるのが通例」(P75)のような一種の議院のシステム的な面も興味があるところです。そのような知識がひとまとめになっている本とかあったらぜひ目を通しておきたいです。

    P95からの林氏の小泉政権批判も、そういう観点からみるのなら同意できるものでした。P99からの法律の生成過程や議員、委員会の内情については、議員の能力を超えてつくらなければならない法律があるのなら、これからはむしろ議員を増やしたほうがいいのではないか、とすら思えてきます。もっともそのためには議員が適切に仕事をしているか有権者もそれ相応の情報を得なければならず、週に何時間そのための時間をとれるか、想像し辛いものがあります。世の中の豊かさや快適さ、つまりある意味複雑さが政策決定に関する情報を増大させ、それが議員と有権者にのしかかってくる、そんなイメージが湧いてきます。

    P106の年金国会の際に起きた理不尽な話も覚えておきたいところです。その後、指示した国体は責任をとったのでしょうか。

    P146の「大臣から課長クラスまでが同じ方向を向き、胸襟を開いて語り合える関係が必要」も大臣とその担当省庁の運営が上手くいっているか、外部から判断するのは限界があるのでしょうが、目安として覚えておきたいです。P147の(閣議は)「撮影がすむと、丸テーブルが置かれた隣室に移動する」も、ちょっと意表を突かれました。P200からのマニフェストをはじめとした民主党批判もあの頃を思い出す上でいい資料になります。

    P214「あの時、日本人は頑張って国難を乗り越えた」とありますが、この後に東日本大震災が来て、更にこれは「難」と「益」のどちらが多いか判断つきませんが、2020年の東京オリンピックが決まって、当初の予算が大幅に増えたりして大変なことになっています。あれほど騒がれた新国立競技場は最近その話題を聞きませんが期日までに完成するのか不安です。世の中悪いことばかりではないことはわかっているのですが、それでも容赦なく追い打ちをかける状況というのもあるものだとつくづく思います。

    P218の津村氏の政務官時代のエピソードも、政務三役(大臣・副大臣・政務官)が官僚組織どう付き合い、運営していくべきか考えるヒントになると思います。また、これも人材不足によるものなのか、一人の人間に多く兼職させるのは取り組む時間が限られてくる問題が浮かび上がってきます。それとは別に考えたことがあって、ある人物の費用、時間、能力、人材を配分してミッションを達成するのは、ゲームというかシミュレーターとして作製できないだろうか、ということです。そのようなものをつくる目的は政治家の活動の一部でも知ってもらうためで、そんなのがあったらいいなあと思っています。

    P267の選挙の話は、どうすればいいのか難しいです。中選挙区制に戻すと政権交代の可能性が低くなり小選挙区制ならではの緊張感が失われて、今でさえ民主党が立憲民主党と国民民主党に分裂して政権交代を狙える党がないのに更に万年与党と万年野党しか日本には存在しない気がするので抵抗があります。行き着く先は政治腐敗でしょう。それにしても、アメリカ。「政治や政党のことを勉強してから、一回だけは『宗旨替え』が許される。」(P268)一回だけしか許されないだなんて。厳しい。「実際、任期が短く選挙が多い状態のまま小選挙区制度を導入した結果、ここ二十年は総理大臣がコロコロ代わってしまっています。」(P280)という表現も、今は第二次安倍政権が2012年の末からなので約6年半。当時予想もつかなかったことが次々起こって、本当に未来というのはわからないものです。

    総じて、政治家を志したいというか、それ以前に政治家という職業が実際にはどんなことをしているのか知りたい方は是非とも読んでいただきたいです。本書を読むことで、少しは見えてくるものがあるのではないかと思います。
     
     
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    今回は前進してほしい意味合いを込めてこの曲、


    スタンバイのテーマをどうぞ!
     

     

    今回は日本の政治の本の特集です。一番右は「体験ルポ 国会議員に立候補する」です。

    真ん中の本は「政権交代 – 民主党政権とは何であったのか」です。


  • 谷川俊太郎詩選集1(集英社文庫) 短い雑感

    もう40代も後半になるとこれからの自分の先が見えてくるもので、今まで読みたい本や漫画、見たい映画やアニメ、実写の映像作品、芝居、聴きたい音楽などの作品にどれだけ接することができるか、先が短いわけではないが、もう全部は無理なんじゃないか、そんな思いが強くなってきているのを感じます。更に、それにやりたいこと、趣味の作曲とか、旅行とか、その他いろいろを加えたら本当にきりがない気がします。

    そこで少し思ったのが、たとえば漫画本を2冊買うとしたら、1作品のうちの2冊を買うのではなく、2作品の各1巻を買うのはどうだろう、と。あと、ギャグや短編のようなのは傑作選でもいいかな、と。もちろん、先のような作品でも作品によっては全巻買う選択をすることもあるかもしれませんが、なんかその、今までより幅広く作品に触れてみようと思ってきています。

     
    手軽に入手できて深く味わえる点で詩集はいいものです。以前だったらこのような選集は手に取らず作品集を個別に買っていたのですが、先のような理由でこの選集を買って読んでみました。当初はこの本を一気に読むのはもったいないと思い少しずつ読んでいったのですが、耳慣れた作品には心が動かされることがあり、さすがよく知られている作だと思う一方で、読み進めていくうちにあまり心の動きが鈍くなるような感覚もあって、いつも新鮮な感じで味わうのはむずかしいものだと感じました。

    おそらく自分にとっては、詩を読むにあたって順番通りに読むことにこだわり続けるのは良くなくて、一度読んだら(一度は目を通しておきたい)気が向いたときに本棚から抜いて読み味わうのがいいのだろうなあと思っています。
     
     
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    もの思いに耽(ふけ)りたい夜に。


    「月の夜に静かに」歌は朱音イナリさんです。
     

     

    今回は詩の本の特集です。


  • 聖書 これをいかに読むか(赤司道雄著・中公新書) メモ

    自分用のメモです。本書では「イェス」という表記ですが「イエス」に改めました。

     
    P4
    イエス・キリスト=イエス救主

    P7
    「救主」はユダヤの救主の意味が後に人類の救主の意味になった

    P10
    新約聖書は「イエス」ではなく「キリスト(救主)」に関する書物

    P12
    本書の聖書の解釈については、人間の心的信仰を含む歴史的解釈で行う。客観的な歴史ではなく、信仰の書として

    P17
    マタイ伝:ユダヤ人の救主、系図はアブラハムから、著作場所はアンティオキア(ユダヤ人キリスト教徒の一つの中心、伝道の拠点)(処女降誕はアブラハムの系図と矛盾することに注意)

    P21
    ルカ伝:人類の救主、系図はアダムから、著者は地中海のヘレニズム世界にキリスト教を伝道したパウロの同伴者、医師ルカ(ユダヤ人ではなく、ヘレニズム世界に育ったキリスト教徒)

    P32
    過越(すぎこし)節の起源はパレスティナ地方のカナン人の春の農事祭、羊の初子の犠牲の祭

    P41
    カナン侵入はヨシュア一人でなされたのではなく、それ以前からのいくたびかの戦闘によってなされた。(私見:ヤマトタケルノミコトのような感じか)

    P53
    (私見:サムソン伝説とスサノオ神話(根の国での大国主命の試練)の類似(髪の毛、倒壊))

    P85
    アダムとイヴの物語が原罪として解釈されるのも(ユダヤ教ではなく)キリスト教になってから

    P98、180
    共観福音書=マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝 (ヨハネ伝は除外)
    イエス語録をQ(Quelle、ドイツ語で資料の意味)、
    マタイ伝、ルカ伝独自の資料をそれぞれM、Lとしたとき

    原マルコ=マルコ伝
    原マルコ+Q+M=マタイ伝
    原マルコ+Q+L=ルカ伝
    マルコ伝(+マタイ伝)+ルカ伝+ヨハネ原資料=ヨハネ伝

    P100
    様式史的研究の代表者はブルトマン(Rudolf Bultman)とディベリウス(Martin Dibelius)、書物「イエス(esus)」

    P100
    当時の歴史家にとって取り上げられるほどの大事件ではないので、福音書以外の当時の事件を取り扱ったフラヴィウス・ヨセフス「ユダヤ史」などにはイエスに関する記録はない。

    P117
    イエスは多くの教えを比喩で行った。元来比喩であったものが奇跡として伝えられさらにそれが変化発展していくものもある。

    P120
    処女降誕、復活はキリスト、メシアの信仰が産んだもの。

    P121
    復活についての文献検討による詳細な解説

    P122、168
    パウロは肉体の復活を否定し、霊体の復活を主張

    P123
    「復活」のような霊的な信仰が、超自然的、超物理的な奇跡物語に展開していった。処女降誕、生誕についてはユダヤ教のメシア信仰とキリスト教になってからのキリスト信仰の混合が跡づけうる。

    P126
    共観福音書ではルカ伝が資料保存の強度が強く信憑度が一番高い。マタイ伝はちょっとした説明を加えて編集し直す傾向が強い。

    P140
    最後の晩餐、十字架の説話についての詳細な解説

    P162
    イエスとパウロについての詳細な解説

    P176
    ヨハネ伝:神学的、キリストの神格化、著作場所はギリシア文化中心地のエペソ(ロゴス哲学のイオニア学派の発祥の地)

    P178
    初めに言あり:ギリシア思想のロゴス論、旧約箴言のホクマ論、ヘブライ思想の神の創造

    P185
    イエスによる神の愛の示しがパウロの人間的な悩みのなかに受けとめられ、ヨハネにいたってキリストは神の独り子としてキリスト者の信仰、崇拝の対象としての形を完成した。

    以上です。
     
     
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    今回はこの曲です。


    「青空をとぶ前に」歌は冷声ゼロさんです。
     

     

    今回は聖書・キリスト教などの本の特集です。


  • 国際政治 恐怖と希望(高坂正堯・中公新書)感想とメモ

    初版が1966年、もう50年以上前の本ですが興味があったので読んでみました。

     
    まず、序章で国際政治に取り組むための三つの指針を提示しています。「力の関係」「利害の関係」「正義の関係」の三つに沿って話を進めていきます。

    第一章「軍備と平和」の「I 勢力均衡」では、第一次世界大戦を主なモデルとして「力の関係」について説明しています。また、国家と戦争について今までどのように考えられてきたか、思想史的な部分もあります。講和を結ぶことによって「勝利を得るために失ったものよりも、はるかに少ない犠牲ですんでいたであろう。」(P35)という話が出てくるのですが、私は、講和の内容次第では「勝利を得るために失ったもの」から「はるかに少ない犠牲」を引いた差分を上回る損失が長期的に発生することも視野に入れたほうがいいと思いました。

    「II 軍備縮小」は、各国の核兵器を含めた軍備縮小の歴史をまとめたものです。自国の軍縮を行うなら、民主主義国家では民意が政策を決定する以上、国民の軍事的知識を高めないと上手くいかないと思いました。義務教育で各国の戦力バランスについて軽く触れるとか。また、核兵器については100%ウランの密輸が阻止できるわけではなく、今は昔よりも核兵器の製造が特別な技術でもないだろうから不意の大量生産を防ぐことは困難なので、発覚したときには各国の総意であらゆる(軍事的なものを含めた)制裁を加えられるようにして、製造しても発覚した場合のリスクを高くするのがベターなように思えます。

    「III 軍備規制と段階的一方的軍縮」では、1940年代の終わりの話として「アメリカがソ連に対する対決の姿勢を見せるたびに、フランスやイギリスが必死になって制約したのであった。」とのこと。今のところそんな制約はないのでしょうが、あと2、3年後はどうなっているか、先の文中の「ソ連」が「中国」になっている可能性も含めて予断を許さないところです。また、コミュニケーションを重要視しているのもこの話題の特徴です。確かに政治的に高度なこと、その決定が重大な影響を及ぼすことを考えると、緊密に連絡をとれる状況は前提条件といっていいでしょう。ここで日本の周辺のことを考えると、習近平とドゥルテはそんな仲じゃないだろうし、文在寅と金正恩も当初はともかく今はそれほどでもないだろうから、対立する状況であってもお互いに一致する目標(本書の例では軍縮)が無ければ頻繁に連絡をとる関係になる理由が薄く、また周りの国がそういう関係に誘導できる話でもないので、今の状況では難しいなあと思うのです。

    第一章「経済交流と平和」の「I 経済と権力政治」は、全般的にヨーロッパの近代の思想と歴史の話で、産業と科学の発展がここでは重要な要素として語られています。「産業主義の与える力がさらに人間の向上欲をかきたてるという循環」(P88)や列車によってドイツが強国となったこと、交通や通信の発達が統治を容易にしたことなどが挙げられています。

    「II 権力政治と経済交流の分離」では、アメリカとソ連、そして両国が支配してきた国への接し方の変化が書かれています。「国際政治における世論の力が増大した。」(P96)と「どちらかといえば、支配するものが、支配されるものに利益を与えなくてはならないというのが真実であろう。」(P98)という言葉が記憶に残ると同時に、現代の中国を考えた場合これらがどれぐらいあてはまっているだろう、とも思います。人民革命を主張していた当時の中国についても記述されているのが興味深いところです。

    「III エゴイズムと相互の利益」のテーマは南北問題です。産業化を達成できたヨーロッパ・アメリカなどの国と発展途上国のアジア・アフリカとの格差、そして経済援助はどうあるべきか、という話が中心です。自尊心や価値観など、精神的なものが重要な位置を占めていることを語っていたのが意外でした。たとえば、現在「先進国の中で、『貧困率』の高い国のひとつとして知られている。」日本の国民に、他国の援助に関心が向くだろうかと考えると、この話題については本書が書かれたときよりも状況は良くなってない気がします。まず自国の問題の解決が先だろう、と。また、日本における外国人居住者の問題を考える上で「もちろん、異なった文明の交渉は相互を豊かにする。しかし、それは双方が自発的に異なった文明のあるものを吸収したときのことであって、強制された場合にはマイナスの効果しかなくなる。」(P119)という言葉を、「強制」が政権与党による政策の結果である場合があることも考慮した上で憶えておきたいです。

    「第三章 国際機構と平和」「I 強制力の問題」では、主権国家に対する国際機構の成り立ちを、それこそルソーやカントの思想的な面から、そして国際連盟や国際連合の経緯を、どのような考えによってなされていったかを解説しています。1966年の本なので、取り上げられている事件の実例が朝鮮事変だったりします。ここも本当に基礎のまた基礎、概論のような感じです。「加盟国は安全保障理事会との特別協定を結んで、理事会の使用に供する兵力を保有しておくことさえ規定されている(憲章四〇~四九条)」(P132)と「たとえば、国際連盟において紛争の解決にもっとも役立ったのは」(P138)以降の話は憶えておきたいです。

    「II 世論の力」では(国家に対しての有権者の世論ではなく、)国際的な世論について語られています。「中国やドイツなどの加盟が実現すれば、」(P139)なんて時代を感じさせる言葉もあります。「道徳的価値を無視して総会の支持を得ることはできない」(P140)といういい言葉がある一方で、その限界にも触れています。例として挙げられているのがソ連がハンガリー革命に介入したハンガリー事件で、2014年にロシアがウクライナに侵攻したときの国連と武力制裁ができなかったという点であまり変わっていない気がします。また、朝鮮戦争でのインドの果たした役割やキューバ危機を回避した際の経緯、国家体制の話(言論の自由との関係)も興味深いものでした。

    「III 国際連合の意味」では威信、権威の話をしています。ある意味信頼の話と置き換えていいと思います。「正確で中立的な資料を作成する」(P160)とありますが、言い換えれば各国から異論が出ないような資料が作成できなかったら権威は失墜するのでしょう。戦争とは程遠い話ですが、4月下旬に外務省が、国連子どもの権利委員会策定ガイドライン案に対し「表現の自由に対する制約は最小限でなければならない」と見直し要請を出しました。ある種の判断に各国で異なる類の価値観が入るとこうなるわけで、国連が世界のために多方面の分野に関して取り組むようになった現在では難しい面も生じるのでしょう。また、それはこの章の逆説的文章の多さ、結論の把握し辛さにも表れています。この章では、コンゴ動乱が国連の限界例として多く述べられていて、難しい状況では最善を目指すしかないのがこの章のまとめなのだろうと感じました。そのためには、国連の判断に異議があるのなら堂々とそれを主張しなければならないし、国連もそれに対して筋の通った主張をしなければならない、加盟国と国連とが言動を尽くした結果にしか権威は生じないと考えています。

    「終章 平和国家と国際秩序」の「I 国際社会と国内体制」では、近代の資本主義や帝国主義の歴史と考察が述べられています。ただ、富の分配を議論の俎上に上げていながら、税制とか、それを支える(情報が行き届いた上での)民主主義社会の要素が出て来なかったことには違和感があります。そして、侵略を行わないための根本の考察として、ルソーやカントまで引き合いに出して論じている、思想史的な意味合いを強く感じました。

    「II 現実的な対処」では自由主義と共産主義の対立が話の軸となっていて、つまり共産主義が主要なテーマになっていたという意味で本書が書かれた時代を反映しています。そして、現実主義的な解決法として「それは対立の原因そのものを除去しようとすることを断念することからはじまる。」(P197)という文句が今から50年以上前の本に書かれていることに少し驚くとともに、やはりそれが真っ当な考え方だと感心しました。「現実主義は絶望から出た権力政治のすすめではなく、問題の困難さの認識の上に立った謙虚な叡智なのである。」(P201)についてもその通りだと思います。そして、武力行使の旧状復帰原則の話で、国連の行為が他の国に伝播することを希望する、という射程の長い話が出てきます。少しずつでもあきらめずに進んでいく、というのも大事な話で、本書が刊行された後の1980年代の冷戦時、私が小中学生のときにはアメリカとソ連の核ミサイルが地球を数十回、もっと多くかもしれませんがそういう話題を新聞とかで見かけたことがあってよく怖くなったものですが、そのときに比べたら今も色々あるのでしょうけど状況は良くなってきています。

    本書全体のまとめです。当初はレベルが同じ程度の国家間の駆け引きはどうする、とかそういう内容の本だと思っていたのですが、読んでみると戦争をいかに防止するか、特にアメリカとソ連の対立をどうするか、というのが主眼でしたので、当時の問題意識がよく表れているというのが第一の感想です。

    また、今の時代ではこの本自体が思想の面から、そして事象の面からも国際政治、特に国際連盟、国際連合の歴史の教科書といえます。現時点の問題に即答してくれる類の本ではないのですが、各種の問題に対する考え方を支えるための本です。色々と考える切っ掛けになる本ですが、込み入った表現はあまりなく読みやすい本なので、国際政治や国際問題に興味がある方、特に今までこの手の話に関する本を読んだことのない方に強くおすすめします。
     
     
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    今回はこの曲です。


    「星のつぼみ」歌は野々原くろとさんです。
     

     

    以下は国際政治本の特集です。


  • ギリシアの美術(澤柳大五郎・岩波新書)感想

    この本を書店で見かけて、「むむっ」と思った方もいるのではないかと思います。厚い。新書にしてはワンランク厚い。本文がおよそ260ページ。厚い。中をパラパラめくってみると、白黒ですが写真や図版が多いのがわかります。つまり、ちょっとしたギリシア美術の写真集のような意味合いもあるわけで、これだけで少しうれしいものです。

     
    さらに、文章がいい。巧いというより、いいものを読み手にいいと感じさせる、という意味で本当にいい文章だと感じました。内容自体も、その美術作品に対してのみならず、その背景、ギリシアの歴史についても事細かに書かれていて、情報量の面でもすごいと思いました。第1刷が1964年、55年前の本ですが目を通す価値は十分にあります。P75に「最近漸く解読された紀元前十五世紀頃の<線文字B>」(漸く=ようやく)なんて表現も出てきます。本書の構成は、年代的というより、テーマ別に沿って語られたエッセイです。以下に目次を記載します。

    ギリシアの風景-序に代えて-

    I
    エルギン マーブル
    原作と摸作
    神話と美術
    神域
    アゴン

    II
    英雄時代-プロローグ-
    幾何学文様
    アルカイク
    神殿
    アッティカ陶器
    厳格な様式
    パルテノン時代
    墓碑
    四世紀
    夕映え

    あとがき

    以下、印象に残ったことをいろいろ書いていきます。

    P1の「実際ギリシアの空気は特別である。」以下は、ギリシアでは景色がはっきり見えて日本をもイタリアとも違う、という話です。以前、芸術作品はその土地の特徴、風土に影響を受けるので万国共通に感銘を与えるとはいえない、という趣旨の文章を読んだことがあることを思い起こさせました。

    P19からの摸作の話はちょっとショックなことが書いてありました。ギリシアの美術品にはオリジナルが現存しない摸作が沢山ある、ミュロンの円盤投げの像も今あるのは全て摸作、という話です。そして著者はこう述べています。「わたくしは読者に申し上げ度い。摸作には一切目も呉れず、ただひたすらに原作にのみ接し給えと。」これについては確かにその通りだと感じました。

    P33の「美術以外には全く典拠をもたない神話傳説も少くはない」(注:傳=伝)も他では聞かない話で、これも考えようによっては深い話になりそうです。私は、文字(言葉)よりも絵画のほうが、そして絵画よりも音楽のほうが、受け取る側の判断基準に論理よりも感覚が占める割合が多くなると考えてます。おそらく音楽(歌ではなく言葉を用いないインストゥルメンタル、器楽曲)以外に典拠をもたない神話や伝説は今のところ発見されていないと思いますが、絵画のような、伝達手段がより感覚に頼るメディアによる神話や伝説は、文字によるメディアのみの神話や伝説に比べて受け手の心情にどのような差異をもたらすか興味があります。

    紹介が前後しますが、P32の「美術家は神話の解釈者であり創造者であった。」と合わせて考えると、このような社会で美術家はどのように受け止められていたのか、人々の心を動かす神話を題材にした作品を創った作者は今の人が僧侶や神官を見るような意味合いをも含んでいたのか、時間のあるときに想像してみたいところです。

    P50、ピナコテカって絵画館って意味だったのですね。ピナコテカレコードというレーベル名をきいたことがあるのでへぇー、と思ったり。アマゾンにピナコテカレコードのタコ(TACO)の作品が2件ありました。


     

    P52のギリシアの神域では「様々の建物は大きさも方位も配列も全く無計画に雑然と立って居る。」ことから、次の疑問が出てきます。P53「一箇の建築にあれほどの秩序と均斉を与えたギリシア人がその建物相互、彫像相互の配列にはどうしてこうも無造作にこの無秩序に甘んじ得たのだろう。」と。その答えは、しばらくギリシアに滞在し続けた著者にとっては折り合いがつくものであり、私も、なるほどそういう考えもあるものだな、と感じました。

    P57からのアゴン(競技(体育に限らない)、わざくらべ)の解説も、アゴンの概要、何がどのように開催されたかとともに、その中心にあるギリシア人の価値観やその価値観が成し遂げた芸術に至るまで丁寧に述べています。アゴン自体、私はきいたことが無かったので読んでなかなかためになったと思いました。

    P70の写真、キュクラデスの首は現代美術を思わせる素朴、あるいは抽象的な作風の彫刻です。この作品が当時の人々にどのように受け止められてのか、もしかしたらこれはこれで受け入れられていたのかもしれない、と少しそんな期待をしています。

    P99の最後の行から、大理石彫刻や建築の彩色の話題に触れています。これについては初めて知りました。結構当初は色が塗られていたようで少々驚いています。今まで白のイメージに囚われすぎていたというか、でも、この本を読まなけば知る機会も無かったろうから、適切な知識を適切なときに得るのは難しいと感じました。

    P105のギリシアの神殿についての洞察、「この日本の切妻屋根、妻入りの建物と同じ基本構造はギリシア神殿がもと木造から発達したことを物語る。」これも彩色と同様に考えたことすらなく、元からあれは石を積んでつくったものとしか認識していなかったので専門家というのはすごいとただただ感心しました。

    P120からのアッティカ陶器の話。先の美術を典拠とした神話伝説の話と似ていて、陶器に書かれた絵が他に代えがたい重要な資料となる話です。日本でも銅鐸に描かれていた絵から当時の社会や生活を探ることがありますが、古代ギリシアの資料ではこれが結構な位置を占めているようで、しかも芸術的絵画といえるものもあるとのこと。見ると、陶器の曲面が平面に描かれた絵とは異なる独特な効果を生み出していて、これは確かに人の心に訴えかけるものがあります。

    P172。パルテノン神殿についての文章。感動のために理屈、論理があるが、しかしその理屈や論理を語ることが必ずしも感動を語ることにはならない。ただただ、本文を読んで味わっていただきたいです。

    P194は、P1(とP13から)の話につながる、今に通じる難しいテーマです。屋外芸術品はどこにあるべきか。これもじっくり読むことをお勧めします。

    P215からの前四世紀の記述、なるほど、古代ギリシアとはいっても社会に変化が生じる以上、作品をみる目も変えなければいけない。少し気を付けなければ。

    P256のあとがきを除く締めくくりの文章。ミロのヴェニュス(ビーナス)。最後にふさわしい、奥深さを感じるいい文章でした。本当に、この本を買ってよかったです。

    最後に。この本の最後に索引、年代順図番目録もあってこれもまた充実しています。ギリシア美術に興味、関心のある方なら買ってじっくり読んでこの世界に浸れる、そんな本だとつくづく感じました。
     
     
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    今回はこの曲です。いにしえの美に想いを寄せて……


    「月の夜に静かに」歌は朱音イナリさんです。
     

     

    上段は著者、澤柳大五郎の本です。真ん中の書名は「アッティカの墓碑」です。

    ここからは古代ギリシアの本です。

    「ソクラテスの弁明」は「パイドーン」まで収められている次の段の左の二冊の新潮版をおすすめします。ソクラテスの死後の世界に対する考え方が述べられている「パイドーン」まで読んでおかないと「ソクラテスの弁明」を考えるにあたって不十分だと思いますので。

    最後のTM NETWOEKのアルバムは、最後の曲「ELECTRIC PROPHET(電気じかけの予言者)」の舞台がギリシアなので取り上げました。