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  • 厄除け詩集(井伏鱒二 著・講談社文芸文庫)感想と芸術史について

    先日、神田の古本屋で井伏鱒二の「厄除け詩集」(講談社文芸文庫)を安価に入手できた。前々から気になっていたのだがなかなか見つからず、又あったとしても少し高いお値段だったので手を出しづらかったのだ。一通り読んで最初はツイート、というかXに連続して投稿しようと思ったが、案外書くことが多そうなのでこのブログにまとめることにした。

    私は、新書や文庫など持ち運ぶのが苦でない本は出社時の列車内や昼休みなどに読む。この本は、およそ1日で本編を、もう1日で解説などを読んだ。本編は「厄除け詩集」「訳詩」「雨滴調」「拾遺選」が収められている。

    正直なところ、この本の現代詩(「厄除け詩集」「雨滴調」「拾遺選」)のうちでは冒頭の作「なだれ」しか引っ掛かるところがなかった。漢詩の訳詞はいいのが少しあった。「春暁」「答李澣」「静夜思」「田家春望」「勧酒(”サヨナラダケガ人生ダ” の詩)」はいい方だと思った。もちろん自分なんぞが偉く語れるほど詩に通じているとは思ってはいない、要は素人の感想だ。買う前は幾分期待していたのだが、結果としてそれほどのものではなかった。こういうこともある。「厄除け詩集」という作品集名はいいと思ったが。

    先に述べた作品の幾つかは以下のサイトで読める。
    井伏鱒二:厄除け詩集|要約・解説・本文(一部) – 日本文学ガイド

    この本には河盛好蔵による解説「人と作品 詩人井伏鱒二」が収められている。書かれたのは1994年。その中で「たとい小説を書いていなくとも、『厄除け詩集』一巻だけでも井伏さんの名は不朽であろう。」と述べられているが、そうだろうか。私は厄除け詩集だけではかなり難しいと思うので、持ち上げ過ぎのような気がしてならない。「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)や「詩の中にめざめる日本」(中公新書)や「谷川俊太郎詩選集 1」(集英社文庫)や「現代秀歌」(岩波新書)にある様々な感情を喚起させる作品群と比べると、この本の現代詩から受けた感情は大してなかったからだ。

    それにしても、話はそれるが、文学史とは、いや、音楽や美術なども引っくるめた芸術史とは一体何なんだろうか。突き詰めて言えば、その大半は、作品が受け容れられた―要するに、俗に言えば「ウケた」(とどのつまり、そういうことだ)—歴史なのではないだろうか。それならば、そのようにしっかり記述するべきだろう。誰それの何という作品を、誰が、どの程度受け容れたか。そして、文学にしても何にしても、大衆が受け容れた作品と、その道の一流と認められた人々(文壇、画壇……これらも、「誰によって認められたか」という視点に注意する必要がありそうだ)が受け容れた作品とに差異があるはずで、その点についても確実に記録されたものを伝えなければなるまい。

    その際には語らなければならない視点が沢山ありそうだ。一つ思いついたのは、ヨーロッパの国々の15世紀の大航海時代以降の世界進出による日本を含む他の地域の価値観への影響だ。価値観が変われば作品に対する評価にも変化が生じる。となると、芸術史を記述するには、その根底となる世界の各地域の意識の歴史、つまり「意識史」も同時に記述しなければならないのではないだろうか。意図せず話が大きくなってしまったが、どうもそんな気がしてならない。

    あとは気がついたことなどを書いておく。「按摩をとる」という作品の一行目に「ここは甲州下部鉱泉の源泉館」とあるが、これはもしかしたら、つげ義春の漫画「ゲンセンカン主人」の名前の元ネタなのだろうか。詳しく調べていないが気にはなる。また、「勉三さん」という題の作品もあり、どうしてもキテレツ大百科が思い浮かぶ。ただ、その2つ後の作品に「勘三さん」という人物が出て来ると、これは言葉遊びの類というよりネーミングの引き出しが少ないのではないか?と考えてしまう。

    「逸題」という作品に「よしの屋」という店が出て来たが、これは新橋の飲み屋なので牛丼店とは関係ないだろう。

    年譜も載っていたが、9歳の頃に「夏、”トートー”と名付けた犬が、行商人に連れて行かれ、悲しい思いをする。」とか、10歳の頃に「夏、井戸替えのとき、幼い頃の大事な”宝物”であった水晶が出てくる。」とか、小説のネタになっているからかもしれないが、ここまで書く必要があるのか?と少々訝しんでいる。

    あと、1944年の7月に「少国民の友」に載っていたという「鼠ボーイ」というのが気になった。
     
     
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    今回はこの曲をどうぞ。


    「リボン」歌は、朱音イナリさんです。ご視聴よろしくです。

     

     

  • 漢詩をたのしむ(林田愼之助著・講談社現代新書)感想

    「国破れて山河在り」「春眠 暁を覚えず」……少しキーボードを打っただけで変換ソフトが候補に挙げてくれる便利な時代。そんな今の時代でも漢詩は楽しめることを改めて確認しました。今回は講談社現代新書の林田愼之助著「漢詩をたのしむ」を紹介します。今までで一番とっつきやすい漢詩の本でした。

     
    漢詩には名文句が沢山出てきます。「歳月 人を待たず」「少年老い易く 学成り難し」(注・この二句は別の作者の別の作品からのものです)や「君に勧む更に尽くせ 一杯の酒」「一杯一杯復た一杯」のように聞くことの多いものから「春風に意を得て 馬蹄疾し 一日看尽くす 長安の花」「老鶴一声 山月は高し」「来るも亦た一布衣 去るも亦た一布衣」「独り寒江の雪に釣る」「天は蒼蒼たり 野は茫茫たり」「一架の薔薇 満院に香し」のように「どこかできいたことがあるような……?」と思えるものまで、この本にはそんないい調子の文句が沢山載っています。「朗吟して飛び下りる祝融峰」なんてのにはギョっとしました。それらを眺める……そう、読むというより眺めるだけで楽しいというのが一番に思ったことです。

    また、紹介する漢詩が概ね短いのがいいところです。短いけど充分味わえる、といったほうが近いでしょうか。だから短い時間に一つ二つつまむように見ることも可能です。そして、五言・七言の絶句や律詩だけでなく他のタイプの詩もあるので新鮮な感覚も得られるでしょう。

    なお、この本では紹介する漢詩には平易な文での訳と最小限の解説がついているので、かなりすんなりと漢詩の世界に触れることができます。あくまでも紹介・解説であって勉強や説教の類ではないのでとても読みやすかったです。

    あと、人によっては音読する楽しみ方もあるのではないかと思いました。もちろん書き下し文のほうで、少し読んでみたのですが結構リズムよく読めて気持ちよかったです。

    虫の声、鳴き声に触れた詩があったのでメモしておきます。楊万里の「夏の夜に涼を追う」(P225)という詩です。

    惜しむらくは、この本が電子書籍になっていないということです。本当にいい本なのにな。講談社は是非本書を電書化していただきたいです。
     
     
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    漢詩といえば大自然、私の場合はこの曲に。


    「北海道にやって来た」歌は朱音イナリさんです。
     

     

    今回は漢詩特集です。