• タグ別アーカイブ: キリスト教
  • 聖書 これをいかに読むか(赤司道雄著・中公新書) メモ

    自分用のメモです。本書では「イェス」という表記ですが「イエス」に改めました。

     
    P4
    イエス・キリスト=イエス救主

    P7
    「救主」はユダヤの救主の意味が後に人類の救主の意味になった

    P10
    新約聖書は「イエス」ではなく「キリスト(救主)」に関する書物

    P12
    本書の聖書の解釈については、人間の心的信仰を含む歴史的解釈で行う。客観的な歴史ではなく、信仰の書として

    P17
    マタイ伝:ユダヤ人の救主、系図はアブラハムから、著作場所はアンティオキア(ユダヤ人キリスト教徒の一つの中心、伝道の拠点)(処女降誕はアブラハムの系図と矛盾することに注意)

    P21
    ルカ伝:人類の救主、系図はアダムから、著者は地中海のヘレニズム世界にキリスト教を伝道したパウロの同伴者、医師ルカ(ユダヤ人ではなく、ヘレニズム世界に育ったキリスト教徒)

    P32
    過越(すぎこし)節の起源はパレスティナ地方のカナン人の春の農事祭、羊の初子の犠牲の祭

    P41
    カナン侵入はヨシュア一人でなされたのではなく、それ以前からのいくたびかの戦闘によってなされた。(私見:ヤマトタケルノミコトのような感じか)

    P53
    (私見:サムソン伝説とスサノオ神話(根の国での大国主命の試練)の類似(髪の毛、倒壊))

    P85
    アダムとイヴの物語が原罪として解釈されるのも(ユダヤ教ではなく)キリスト教になってから

    P98、180
    共観福音書=マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝 (ヨハネ伝は除外)
    イエス語録をQ(Quelle、ドイツ語で資料の意味)、
    マタイ伝、ルカ伝独自の資料をそれぞれM、Lとしたとき

    原マルコ=マルコ伝
    原マルコ+Q+M=マタイ伝
    原マルコ+Q+L=ルカ伝
    マルコ伝(+マタイ伝)+ルカ伝+ヨハネ原資料=ヨハネ伝

    P100
    様式史的研究の代表者はブルトマン(Rudolf Bultman)とディベリウス(Martin Dibelius)、書物「イエス(esus)」

    P100
    当時の歴史家にとって取り上げられるほどの大事件ではないので、福音書以外の当時の事件を取り扱ったフラヴィウス・ヨセフス「ユダヤ史」などにはイエスに関する記録はない。

    P117
    イエスは多くの教えを比喩で行った。元来比喩であったものが奇跡として伝えられさらにそれが変化発展していくものもある。

    P120
    処女降誕、復活はキリスト、メシアの信仰が産んだもの。

    P121
    復活についての文献検討による詳細な解説

    P122、168
    パウロは肉体の復活を否定し、霊体の復活を主張

    P123
    「復活」のような霊的な信仰が、超自然的、超物理的な奇跡物語に展開していった。処女降誕、生誕についてはユダヤ教のメシア信仰とキリスト教になってからのキリスト信仰の混合が跡づけうる。

    P126
    共観福音書ではルカ伝が資料保存の強度が強く信憑度が一番高い。マタイ伝はちょっとした説明を加えて編集し直す傾向が強い。

    P140
    最後の晩餐、十字架の説話についての詳細な解説

    P162
    イエスとパウロについての詳細な解説

    P176
    ヨハネ伝:神学的、キリストの神格化、著作場所はギリシア文化中心地のエペソ(ロゴス哲学のイオニア学派の発祥の地)

    P178
    初めに言あり:ギリシア思想のロゴス論、旧約箴言のホクマ論、ヘブライ思想の神の創造

    P185
    イエスによる神の愛の示しがパウロの人間的な悩みのなかに受けとめられ、ヨハネにいたってキリストは神の独り子としてキリスト者の信仰、崇拝の対象としての形を完成した。

    以上です。
     
     
    【宣伝です】趣味で作曲した作品の動画などをYoutubeで公開してます。
    チャンネル登録していただけたらありがたいです。ニコニコ動画もどうぞ。

    今回はこの曲です。


    「青空をとぶ前に」歌は冷声ゼロさんです。
     

     

    今回は聖書・キリスト教などの本の特集です。


  • 中世の食卓から(石井美樹子・ちくま文庫)感想

    石井美紀子著「中世の食卓から」は、中世ヨーロッパ社会の王侯貴族から庶民まで、様々な人たちの食した様々な食べ物とその周りのことについて書かれたエッセイ集です。体系的というより断片的な感じですが、結果として食材というか題材がバラエティに富んでおり、文体は軽いのですが微に入り細を穿った内容ですのでちょっとした空き時間に少しずつ楽しめます。

     
    目次(内容)は以下の通りです。

    序にかえて ローストビーフとフォアグラ

    おどけ者ジャック・プディング

    うなぎとイギリス史

    豚と王子様と惣菜屋

    スパイスは食卓の王様

    にしんは魚の王様

    オムレツとプリンが戻ってくる日

    饗宴と精進潔斎

    羊飼いの饗宴

    豆とスプーンと北斗七星

    甘美なものには手で触れるべし ナイフとフォークの話

    手洗いの儀式と汚れた手

    チーズと道化

    果物の王様、オレンジとレモン

    りんごの花びら

    女王様と爪楊枝

    サラダ泥棒

    愛の妙薬

    寝取られ亭主と梨とさくらんぼ

    お菓子とビールとエール

    ティファニーで朝食を

    ふとった王様とやせた子ども

    アダムのりんご (文庫版に寄せて)

    全体を通じて思ったのですが、中世ヨーロッパ社会といえばキリスト教の影響が強かったせいか、四旬節(レント)や降誕劇など、普段は知ることないキリスト教の習俗描写が多いのが新鮮でした。(ただ、本書で紹介されている風習が当時のヨーロッパ全土で行われていたのかどうかは、私には判断つかないです。)

    また、話が脇道にそれて道化や王家の歴史の話題に入るのもなかなか楽しめて、飽きがきません。そして、当時の料理法がちょくちょく載っているので、再現してみたくなる方もいるのではないかと思います。

    以下、個々に感じたことを書いておきます。

    P.38の「反対に、クレタの人々のように、豚を神聖なものと見なし、その肉を食べようとはしない国民もいる。」「インドやカナン、エジプトやギリシアの古代社会では、豚は太母のシンボルだった。」の箇所は初めてきいた話です。イスラム教の布教地域と近いので、何かの影響があったのかも。

    P102~103の大嘗祭と北斗七星のちょっとした話は覚えておこうと思いました(自分用メモ)。

    P147「古代のバビロニア人たちも、天の東の入り口に真理の木と生命の木があると信じていた。」とのこと。また、P149にはギリシア神話のヘスペリデスの黄金のりんごの木との関連が語られています。

    P153~154のギンガモールの話、城でのもてなし、タブー破り、帰還したら未来、老化、とどう考えても浦島太郎としか思えません。日本とヨーロッパとでイザナミ・イザナギの話(ラストの方)とギリシア神話のオルフェウスの話の類似がなくもないのですが、それでも驚きでした。

    P199以降の話、noonの語源と一日の最初の食事がディナーというのが意外。ところでランチは……?

    P219に知識の木はユダヤ人はオリーブ、葡萄、麦の束と考え、ギリシア人はいちじくの木と考えていた、とのこと。ここで思い出した話が一つあって、今は手元にないのですが、手塚治虫がキネマ旬報で連載していた「観たり撮ったり映したり」というエッセイがありまして。うろおぼえですが単行本を出した少し後に「ゆきゆきて、神軍」を観た影響で連載を続けられなくなり、その分までの単行本未収録を合わせて改めて出した……と思ったら、どの本にも収録されていない連載分があるようです。その中でアニメ「聖書物語」のエピソードがありまして。その設定をする際にヨーロッパのプロデューサーから言われたうちの一つが「禁断の実はリンゴではない、国によって解釈が違う」(大意)だった、ということを読んだ記憶があるので、あれはおそらくこういうことだったのかな、と思っています。

    最後に。このエッセイは明治屋(食品等の小売業者、明治製菓にあらず)が発行していたPR誌「嗜好」に掲載されていたものに加筆した、とのことですが、調べてみたら同誌は1908年発行開始で2008年で休刊とのこと。これも日本の縮小の一環なのでしょうか。読んだことはないのですが、100年間お疲れ様でした。
     
     
    ●その他・雑感など

    エノク書とかの聖書の外典からの引用が多かったのですが、それらはキリスト教の範疇に入れていいのか判断が難しいので少し距離をおいて捉えたほうがいいように思いました。また、外典はキリスト教に寄って書かれている分、民間伝承としても受け取りがたいものがあります。当初の購入目的は完全に果たしたとは言えないのですが、それでも細かい知識の記述が多いのは確かなので入手した甲斐がありました。
     
     
    【宣伝です】趣味で作曲した作品の動画などをYoutubeで公開してます。
    チャンネル登録していただけたらありがたいです。ニコニコ動画もどうぞ。

    今回は食べ物の歌をどうぞ。


    「パスタを讃える歌」歌は王縄ムカデさんです。
     

     

    今回は食べ物とかの特集です。


  • 聖書の起源(山形孝夫著・講談社現代新書) 感想

    今回は講談社現代新書の山形孝夫著「聖書の起源」を紹介したいと思います。この本の良かったところはタイトルの聖書の起源について事細かく論じられていたこともさることながら、思いのほか聖書以外の神話の影響について記されていたことでした。そういう風に聖書をとらえることには興味があるので読んでいて楽しかったです。

     
    さて。本書について語る前に、以前このブログで紹介した「天使とは何か」(岡田温司著・中公新書)についてまとめておこうと思います。といいますのも、この本も他の神話からの影響について触れていて、それを一覧にすることで聖書なりキリスト教なりをより良く把握する手助けになると思うからです。ま、私なりの備忘録ということで。

    「天使とは何か」で指摘されていたのは以下の通りです。
    ・天使にキューピッドの要素(愛の矢)を取り入れる
    ・タナトス、ヘルメス、ニケー、イリスには翼(の要素)がある
    ・裸童プットー(プシュケー)、アモリーニ(愛神アモル)、バッコイ、小精霊スピリテッロ(スピリット)の影響
    ・キリストの「精霊」や天使はギリシャ語の「プネウマ」(気息・精気)から
    ・智天使ケルビムの語源はアッシリア語・アッカド語の「ケルブ」「クリブ」(偉大な・強大な、祝福された・崇拝された)
    ・ケルビムの姿はラマッスなどのメソポタミアの守り神たちが起源
    ・古代バビロニアの有翼の守護神マルドゥック、ゾロアスター教の守護霊フラワシのイメージ
    ・古代ローマの有翼少年の守護霊ラレス
    ・堕天使とティタンの神話との類似性
    ・ダイモンに関する言及
    ・ギリシャの精霊サテュロス、メソポタミアの精霊シェドゥ、シリアの雷神バァルの悪霊(悪魔)化

    では、本書「聖書の起源」の感想について。兄カインの農産物ではなく弟カインの畜産物を神は選んだ、という話と並行してメソポタミア神話での女神が牧畜神と農耕神のどちらを選ぶか、という話が紹介されています。こちらも勝ったのは牧畜神。私は日本神話の海幸彦(兄)と山幸彦(弟)の話を思い出しました。勝ったのは山幸彦(弟)。あと、これは少し趣が異なるかもしれませんが、かぐや姫に五人の貴公子が求婚したらレアな品を要求されたとか、そういえばヘラクレスの神話もアレとってこいコレとってこいとか言われていたことを思い出しました。これらの話がどこまで関連性があるのが気になるところです。そして農耕者と遊牧者の争いはヤコブとエソウの代に持ち越され、今度は農耕者ヤコブの勝ち。土地取得の話も加わって、これらは遊牧から農耕への民族的移行を意味しているのではないか、とのことです。

    続いて、P.58から出エジプト記は「祭儀の折に朗誦される式文」「ドラマとして演じられた一種の祭儀劇」だったのではないか、という北欧祭儀学派のペデルセンの説と、それに関連して古代オリエントの過越祭(ペサハ・魔除け-旅出-収穫祈願の祭り)が紹介されています。また、P.65にいわゆるモーセの十戒のシナイ顕現伝承はこれも古代オリエントの収穫祭が起源の「仮庵(かりいお)の祭で朗誦された祭儀文」なのではないか、という伝承史学派のラートの説も出てきます。うーん、そこまである意味史実性が無いと言い切っていいものなのでしょうか。そして、本書は1976年発行なのですが、もしかしたらこれらは現在では定説となっているのでしょうか。これ以上は何とも言えないです。

    少し話しが逸れますが、P.68からの十戒の話は意表をつかれた感じで面白かったです。戒律は本来は禁止命令ではなく断言的形式の律法であり、直訳すると「(略)~はないだろう。あるはずがない」となるそうで、これは背反行為の衝動の抑圧ではなく強い選択意志の表現、とのことです。

    この後、砂漠の唯一の神ヤハウェの教えが農耕化に伴いカナン地域のバァル神話の影響で多神教化していきます。本書ではバァル神話が、そしてその原型といわれるギリシャ世界のアドニス神話が詳細に紹介されています。その際、エジプト神話などにも少し触れています。季節のサイクルから着想を得た死と再生の物語は、キリストの復活劇に影響を与えているのではないか、そして、大地母神に対して死と再生を演じたのは男性の穀物神ですが、都市国家の崩壊とともに古代フェニキアのエシュムン神やギリシャ神話のアスクレピオスのような遊行する治癒神なったのではないか、ということが述べられています。なお、本書ではアスクレピオスのことを「素性の知れない神様」と書いていますが、Wikipediaのアスクレピオスの項目には「アポローンとコローニスの子」と記載されていたので、ここは少し気になりました。

    次に、なぜ聖書にはイエスによる病気なおしの話が多くあるのか。イエスに先行した洗礼者ヨハネにはそんな話無いのにです。それは、民衆の支持を得た治癒神たちと競合する状況にあったのではないか、という推測から話が進められていきます。イエスの病気なおしの舞台となったガリラヤはユダヤ教とオリエント的-ヘレニズム的宗教とが混淆しており、また治癒神信仰の一拠点でもあるフェニキアの都市シドンと近いところでした。福音書記者マルコは、その当時のガリラヤの状況を強く意識して聖書を記したのではないか……ということが、上記以外の要素も加味して述べられています。

    そして、キリスト教が権力の助力も得て宗教的勝利者となり権力を支える背景になると同時に、イエスの治癒神的な側面が今度はイコン崇拝と聖母マリア信仰に移行した、また、聖母マリア信仰にカナンの女神の影響がある、というのが本書の論です。私は、そういう面もあるのかもしれませんが著者ほど強く断定できるか、というともう少し証拠というか根拠とすべき論が欲しいところです。

    ただ、「天使とは何か」で述べられていた天使信仰や、あるいは聖人信仰などキリスト教には多神教的要素も案外あると思っています。

    (参考) Laudate(ラウダーテ) 聖人カレンダー365日

    本書の最後に、最後の晩餐は過越祭と死と再生の物語が合わさったものであること、そして、福音書がW・ヴレーデやJ・ヴェルハウゼン、カール・ルードヴッヒ・シュミット、ルドルフ・ブルトマンの言を引いて、そして例をあげて、いかに編集され、変えられてきているかが語られています。P.191では「マルコ福音書を構成する伝承群は、イエスの受難物語という、ただひとつの例外をのぞいては、個々の独立した断片からなっていた。」とまで言われています。P.205の「明白なことは、伝承を生みだしたのは、イエスに関する歴史的関心ではなく、教団自体の生活に根差した要求であったということである。」というのがこれまでの論のまとめといえます。

    それにしても、先の本(「天使とは何か」)で天使になぞらえられたと思えば本書では治癒神と比較させられたりで、つまりイエス・キリストには様々な側面があるわけで、そのこともまた、聖書が編集された……言い換えれば、よく考えてつくられた……ことを示しているのではないか、と思った次第です。
     
     
    【宣伝です】趣味で作曲した作品の動画などをYoutubeで公開してます。
    チャンネル登録していただけたらありがたいです。ニコニコ動画もどうぞ。

    今回はこの曲、


    「呪い、魔王とメシア」歌は穂歌ソラさんです。
     

     

    以下は聖書関連の特集です。

    ※岡村靖幸のアルバム「靖幸」の5曲目は「聖書(バイブル)」。いい曲。