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  • 聖書考古学 遺跡が語る真実(長谷川修一著・中公新書) 感想

    この本の主な内容は旧約聖書と出土した資料との照合による検証で、旧約聖書の創世記の12章から50章、出エジプト記、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記のあたりまでが取り扱っている主な内容です。

     
    以下、各章ごとに説明ならびに感想を述べていきます。

    第一章は聖書の簡単な説明と、聖書自体の考古学的検証です。「レニングラード写本」とか「ビブリア・ヘブライカ」とか初めて知りました。そして、聖書がどんな人によっていつ書かれたのか、そしてどのような目的があったのか、ということが周辺国家との情勢とともに語られています。

    (メモ:P29、申命記史=申命記、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記の五書、申命記史観に基づいて編纂された申命記史の存在をドイツ人マルティン・ノートが提唱)

    第二章は考古学の基礎知識の説明と、それによって聖書の内容をどう考えるか、という点についての説明です。

    第三章から第六章が、この記事で冒頭に述べた事柄を記述してます。それに関して、アブラハムやラクダ、聖書に登場した街の遺跡や遺品、旧約聖書のエピソードで登場するエジプトの文献やゴリアト(ゴリアテ)の武装、アラム語やモアブ語の碑文など、検討できる各方面の要素について説明しています。

    なお、以前書いた記事、「聖書 これをいかに読むか(赤司道雄著・中公新書) メモ」で触れたヨシュアのカナン侵攻に関してはP111以降で、また過越(すぎこし、過越節、過越祭)についてはP129から触れていました。

    第三章から第六章については、北イスラエル王国や南ユダ王国の情勢を説明する以上は必然的に周辺国の説明もする必要があるので、結果として古代中東史の本を読んでいるのと近い感触がします。

    (メモ:P183、新共同訳と原文のヘブライ語からの訳が異なる、との説明。私としては、新共同訳が原文と異なる訳をしていることを明言しているか疑問。)

    (メモ:P206、「ヨハネ自身、あるいは彼の弟子たちがエッセネ派だった、と結論するのは早急すぎる。」P207、(エッセネ派に限らず、)「終末思想や浸礼は起元一世紀のユダヤ教徒の間に広く行きわたっていた思想や慣習だった」とのこと。(浸礼≒洗礼))

    第七章は、この本が書かれた時点(本書の初版は2013年)での聖書と歴史学・考古学との関係を考察したもので、ある意味第一章・第二章の続きともいえます。

    一通り読んだ感想としては、おおよそ紀元前2200年のあたりからセレウコス朝、ハスモン朝、ローマ、ヘロデ王を駆け足で語って紀元70年あたりまでが本書のメインの第三章から第六章までの範囲なので、この時代について調べる際にリファレンス的に使う気がします。ある意味、旧約聖書についての古代中東小史ともいえるのではないでしょうか。それ故に、物足りなくなったときにより多くの情報を得るために巻末の読書案内があるのだと思います。もっとも、もう初版発行より6年も経っているので、実際には同一著者の本で新版がでていないか念のため確認しておいたほうが良さそうです。言い切ること、断定することが少ない本でしたが、それ故に学問的誠実さを感じて好感が持てました。
     
     
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    今回はこの曲です。


    「水の鏡β」歌は出宅ナイさんです。
     

     

    今回は本書の読書案内で紹介されていた本や、聖書・キリスト教などの本の特集です。


  • 社会学講義 人と社会の学(富永健一著・中公新書)感想少な目

    例えばコンビニのイートイン。買った菓子パンや飲み物をその場で食べることができる。夜遅く行くと、「この場所が使えるのは○○時から○○時までです。」などと書いてあり、意気消沈して他に安く落ち着いて食事のとれるところを探したりする。このイートインが増えてきたのはどんな背景があり、そしてこの傾向が続くのであればそれはどのような影響をもたらすか。このようなときに社会学が出て来て、イートインのあるコンビニの分布や駅までの距離、付近の住民や利用者の食生活なんかを調査し、実際の現場、現象に対する理論を推定してこれこれこのような理屈なのでこれからはこうなる、なんてことを言うのだろうと思います。

     
    そんな社会学に少し興味をもってこの本を手にしたのですが、ちょっと大変でした。何しろ、前述のような「まず具体例を出してきてそれを解説する本」ではなく、「ひたすら抽象的な概念を分類し用語の定義を事細かに解説した本」だったのですから。序文には「本書は富永社会学の展示室たることをめざしたものである。」と書かれており、さらに「本書は予備知識をゼロと想定した意味での入門書とはいえないということを意識するようになった。」「本書はすでに社会科学のあれこれについて多少とも学んでこられたマルティディシプリナリー指向の学生や一般知識人を念頭において書かれた、ややハイレベルの社会学への案内であるといえるだろうか。」とある。具体例がないでもないのですが、それは抽象的な概念を説明するために引き合いに出されるのがほとんどで、このことからも「ちょっと社会学に触れてみよう」という人ではなく、既に社会学を学び始めた人にとっての本だといえます。

    目次は以下の通りです(節まで)。

    第一章 社会の学としての社会学
     第1節 社会学とは何か
     第2節 社会学の研究対象
     第3節 社会学の研究諸部門

    第二章 理論社会学
     第1節 ミクロ社会学
     第2節 マクロ社会学(1)
     第3節 マクロ社会学(2)

    第三章 領域社会学と経験社会学
     第1節 領域社会学
     第2節 経験社会学(1)
     第3節 経験社会学(2)

    第四章 社会学史の主要な流れ
     第1節 前史と社会学第一世代
     第2節 社会学第二世代
     第3節 現代社会学の諸潮流

    なお、第四章の第3節に「現代社会学」とありますが本書の初版は1995年4月ですのでご考慮願います。

    何とか本書を、理解はさておき通読したのですが、それでも「ジンメルがミクロ社会学の創始者だというようなことは、ふつうの社会学史の本には書いていない。」(P74)なんて書かれていたり、あるいはゲマインシャフト行為(ゲマインシャフト関係)やゲゼルシャフト行為(ゲゼルシャフト関係)について詳細に説明されていると(P94)、脳に汗をかいてでも理解に取り組むような良い読者ではない、著者に対して申し訳なさすら感じる私でも本書を所持しておいたほうがいいのだろうな、と感じるものがあります。あと、P150から始まるポスト工業化、ポスト近代化の話とか。一通り読んで、そのあとどこかで気になる用語に出くわしたらこの本でその解説を確認する。そういう使い方をしようと思いました。

    P167の家庭社会学から40ページぐらいがようやく普通通りのペースで読んだ箇所で、自分の関心がこの手の話題や語り口にあったのだな、と改めて自覚しました。あと、第四章以降の社会学史についての箇所、特にP302からの日本の社会学第二世代(高田保馬、戸田正三、新明正道。鈴木栄太郎は前の箇所ですでにくわしく紹介した、とのことでここでは省かれている)については興味を惹(ひ)かれました。

    惜しむらくは本書は当初の構想から割愛などで短くなったとのことで、序文や他の箇所でその経緯が述べられているのですが、そう書かれると本書の内容を把握したとはいえない私もこの本が上下2巻、あるいは上中下3巻で書かれていたら、と世の中ままならぬことは多いとはいえそういう思いが残っています。
     
     
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    人の世の幸せって何だろうね。


    曲は「しあわせ」 歌は雛音サラさんです。
     

     

    今回は社会学と富永健一の特集です。


  • 民主党政権 失敗の検証(日本再建イニシアティブ著・中公新書)感想

    人間、歳をとると十数年以上前のことでもつい最近のように思えてくる記憶がある一方で、数年前ともなると覚えているようで覚えていない、そんなこともあると思います。民主党が政権を担ったのは2009年9月から2012年12月までなのですが、そのときのこと、特に身の回りのことや、どんな仕事や生活をしていたか、思い出すのはちょっと難しいのではないでしょうか。ましてや政治のことなんて……ねえ。

     
    本書は民主党政権の成り立ちから終焉までに民主党内でどのようなことがあったか、民主党の中枢を担った議員に対するヒアリングをはじめ綿密な調査を行いまとめたものです。なぜマニフェストが達成できなかったのか、なぜ党内がまとまらなかったのか、民主党政権の功罪をどうとらえればいいのか、そんな問題提起を考える一助になります。

    序章「民主党の歩みと三年三カ月の政権」からして、民主党の政権取得以前からの経緯、変遷がわかりやすくて助かります。P10の「過去の検証だけでなく、日本の議会制民主主義の将来のために活かすべき教訓は何か、という視点を大切にした。」とのことで、今後の政権をみるためにも本書を参照して考えるのは有益でしょう。

    マニフェストを扱った第1章「マニフェスト-なぜ実現できなかったのか」の、P22からの「積み重なる新規政策」を読むと、精神的な切り替えが難しい、そんなことも迷走の原因になっていてただただ政党運営の難しさを感じます。また、P29の予算の税収見積もりが46兆円から37兆円に落ち込む話なんてそもそもリスクとして管理できる話なのか、いくらなんでもこれは不幸の範疇に入れていいのではないかと思いました。P42からの「共有されなかったマニフェスト」は、マニフェスト一つとってもうまく運営しないと薬も簡単に毒に転じることを示していて恐ろしいものだなと感じました。

    そして、P34「参院選敗北と党内対立」の消費税とマニフェストをめぐる経緯には泥臭い人間ドラマを感じました。また、小沢一郎は選挙ウケを狙い、岡田克也、菅直人はまだ計画的に動いている印象がしました。

    政治主導を扱った第2章「政治主導-頓挫した『五策』」では、P55の総務省の話が心に残ってます。人材を各局にどう配置させるか、こんなところでもつまづくところはつまづく、難しいものです。また、P57の尖閣沖の中国漁船衝突事件で「連日のように官邸で仙谷を中心に船長の扱いが検討されていた。」のは覚えておいたほうがいい話なのかも。P58では野田政権が現実を重視するあまり政治主導が置き去りにされた様が描かれています。

    第3章「経済と財政-変革への挑戦と挫折」では、P104からの「事業仕分けの限界と可能性」は読んでおくべき箇所だと感じました。つまり、その目的はあくまでも透明化であって、財源の確保ではないということです。そして、なぜ一部を除いて査定大臣になれなかったのか、については(現時点の大臣、副大臣も含めて)一層考えていくべきことでしょう。当時、行政刷新会議事務局長だった加藤秀樹氏の言葉、「(略)最後は国民が政治を『自分事』と思うかどうかに帰着する」(P107)が胸にしみます。

    また、P112に予算制度の改革にあたってベースライン(現行の制度と最新の経済データに基づき、中期の歳入・歳出の見積もりをたてること)を導入しようとしたところ、財務省が反対してできなかったとあるのですが、なぜ民主党が省庁の反対にあったぐらいでできなかったのか、もう少しここは説明が欲しいところです。

    ただ、何につけてもそうですが、ここらへんの経済とかの話は特に自分だったらどうすればいいのかと問うと悩ましい話です。

    第4章「外交・安保-理念追求から現実路線へ」では普天間基地問題、先の漁船衝突事件、尖閣国有化の三つがメインとして語られています。この分野では、野田政権の現実主義的な対応が発揮されたといってもいいでしょう。

    第5章「こども手当-チルドレン・ファーストの蹉跌」を巡る話では、受給の際に所得制限をしないのであれば格差が広がるから本書の通りに累進課税を強化するべきだと思うのですが、なぜそちらの方向に民主党が行かなかったのが、これは今も疑問です。あと、「(略)女性が子どもを産みたくても産めない最大の理由として『経済力不足』が各種の調査であげられている(以下略)」(P168)とのことなので、働き手の収入が減る話が出てくるたびにこのことを少子化につながる根拠として思い出すことにします。

    P173の配偶者控除撤廃に踏み込めなかった話として「(略)二〇〇九年衆院選で大量の新人議員が登場し議員構成が大きく変わったことにより、『専業主婦を正当に評価するべきだと考える人が党内で増え、考え方が自民党に近づいてきた』」というのは興味深い論点です。つまり、党の意思決定はどのように決められるべきか、多数が主体となるなら場合によっては「変えられる」事態も想定されるわけで、そこはあくまでも当初の考えを堅持して新たな党員に誓約書を書かせて守らせるべきか、あるいは大量に入れることを避けて少しずつ取り込んでいくべきか、考え所です。

    第6章「政権・党運営-小沢一郎だけが原因か」の「特定の有用な人材を大臣間で競合して副大臣や政務官にとりあうようなこともおき、」(P204)という話が出て来て、これは前回記事にした「国会議員の仕事 職業としての政治」(中公新書)の津村啓介氏のエピソードと一致するところがあります。また、「(略)残りの二〇〇人で委員会運営までできるかといったら、非常にきつい」(P206)という海江田万里氏の指摘は興味深い話です。そしてP207からの「党の重点要望」の民主党内のやりとりも、力関係からの視点からみると重要な例であり、党運営の設計の難しさを感じました。

    P214の逢坂誠二氏の「(略)議論することと、決定することと、納得することにそれぞれ違ったものがあるということが分かっていない。(以下略)」やP219の辻元清美氏の「自社さ政権時代の野中広務さんのように、政権維持のため泥まみれになる覚悟や執念、政治技術をもって調整にあたる存在がいなかった」も貴重な証言といえるとともに、将来、同様に政権を担う党への警鐘ともいえるでしょう。そして、P226の「藤井裕久の役割」。獅子身中の虫とはまさにこのことで、「政権をとったら財源などいくらでも出てくる」という言葉の責任はもっと追及されて然るべきだと思いました(関連 P41)。

    第7章「選挙戦略-大勝と惨敗を生んだジレンマ」にも気になる箇所があります。P234の「いなかでの会話の伝達速度」の話をどう考えるか。これは、農村地域が政治情報に積極的に接していないから起こる現象なのか。それは、第一次産業の労働時間、あるいは労働時間帯と関係あることなのか。そんなことが浮かんで来ます。

    P237、P241の選挙区の問題について。国会議員は国政を語る存在なのか、地方の利益の代表者なのか。国政を語る存在に力点を置くなら、政務三役の経験者は国政を語る存在として比例区にしか出られないようにするのはどうか、とか、あるいは地方(居住地)による利害よりも職業や所得による利害のほうが大きいのでそちらの枠で選挙区をつくってもいいのではないか(この場合、他の枠の選挙区には入れない)とか想像しました。

    選挙制度についてもう少し付け加えるなら、(この本ではなく)時折、小選挙区制は与党が変わりやすく安定した政権にならないから問題なのではないかという声をきくのですが、倒れて然るべき政権がより倒れやすい制度である、と考えるとそう悪くはないと思います。そして、選挙制度を考えるのも大事ですが、有権者が政治をどうすればより考えるようになるか、を考えることも同じかそれ以上に大事なことでしょう。

    また、相手の足を引っ張るだけの政局国会(P238、248)の遠因には、国民が衆議院選挙・参議院選挙に出て戦うこと自体難しい現状があると思います。供託金なり選挙戦術なり明日からやれと言われても難しいことなので、供託金の額を減らし選挙ノウハウがもっと一般に知れ渡るようにすることで国民が立候補しやすい状況になれば、国会のグダグダぶりにあきれてだったら自分が仕切ったほうがまだマシと考える人もいるでしょうから、それが議員を牽制する意味も加味して少しは生産性の高い議会になるのではないかと考えてます。

    そのほか気になるところをピックアップ。P243「(略)与党でありながら政府の出した法案の審議をサボタージュして一切応じなかった」P245「(略)官僚から海外出張がチャンスと聞いていたので、これは財務官僚による洗脳の典型的な例だと思った」とかすごいです。後者、われわれは専門家の意見に全て対抗するには全ての専門的知識を身につけなければいけないような、ある種絶望的な気持ちにすらなります。

    P258「自民党政権を終わらせるのは、徳川時代を終わらせるぐらい大変な歴史的成果だった。(以下略)」や、P262の「しかし、民主党政権が抱えたさまざまな矛盾は、」の段落については後の部分も含めてその通りで、これからもどう接すればいいのか考えていかなければならない問題でしょう。

    終章「改革政党であれ、政権担当能力を磨け」のP271「『実務と細部』の欠如」の箇所が、このときの民主党政権について本当に的確にまとめていてなかなか読み応えがありました。こうしてみると、与党と野党は国政での役割と作業内容が全く違うことを当の議員、特に野党議員がどれだけ自覚しているか、どう自覚させるか、難問です。党のトップがそれをわかっていれば党員に号令をかけることもできるのでしょうが、わかっていなければ普段から有権者と議員とがコミュニケーションをとるとか、そんな手段しか思いつきませんでした。

    あと、P276の片山義博氏の「民主党を見ていて以前から危惧していたことがある。それは公約違反に対する無邪気さと鈍感さである」という指摘も覚えておこうと思います。

    全般的に思ったのは民主党の人材不足ぶりで、能力のある人間がいないから官僚に頼ったり、あるいは時間不足になる、それが慢性的に続いていたことです。いかにいい政治家を育てるかは基本的に政党のなすべきことですが、今後の日本にとっても重要な課題だと考えてます。また、事前に計画を立てたり準備する前に実行する、あるいは実行せざるを得ない状況になることが多いのも気になりました。この民主党のケースでは「与党慣れ」するまでは従来通りの与党であり続け、要領がつかめてきたら改革なり大胆な組織変更を行えばまた違ってきた気がします。もっとも、派手なことをマニフェストに書かなければ票をとれない一面もあるだろうから、それは有権者の問題でもあると考えています。

    あるいは、これからも日本の政治は無理なマニフェストの積み重ねとそれに記された目標に近づくことでした達成されないのかも、そんな気もします。マニフェスト自体あくまでも目標、お題目として割り切ってみたほうがいいのか、いえることは達成されなければ叩くといっても別の党にすればよかったかというと必ずしもそうとは限らないということでしょう。

    本書に苦言を呈すならP15の表に視力検査をされているのかと思わせるぐらい小さい文字があったことぐらいです。本書は(元)民主党を批判するためというよりも、将来日本の政治をどうすればいいか考えるための本です。そのために民主党のたどった道を振り返ってみるのは有用です。こういう良いまとめとなる本がこれ以降の各政権についてほしいと思いました。
     
     
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    今回は一息つくのに丁度いい曲、


    「春の遠足」をどうぞ。
     

     

    今回は政治の本の特集です。本書の参考文献もあります。真ん中の本は「政権交代 – 民主党政権とは何であったのか」です。


  • 国会議員の仕事 職業としての政治(林芳正 津村啓介 共著・中公新書)感想

    興味があって買ったものの読む前は難しそうで文体が固い読み辛そうな本だと思っていたのですが、読んでみると文章も読みやすく内容もわかりやすかったので買った甲斐がありました。政治の、特にその内実がどんなものなのか知りたい方には強くおすすめしたいです。

     
    この本は、現在自民党所属の林芳正参議院議員と、同じく現在国民民主党所属の津村啓介衆議院議員(注:本書執筆時は民主党所属)の両氏によって書かれたものです。まず、その目次を以下に記します。
     
     
    はじめに (林芳正・津村啓介)

    I 国会議員になるまで

     1 「政治家の家系」ではあるけれど (林芳正)
     2 決意と戸惑い (林芳正)

     1 サラリーマン家庭 (津村啓介)
     2 政治家をめざす (津村啓介)
     3 若い力を国会へ (津村啓介)

    II 国会議員の仕事と生活

     1 行政の仕組みを知る (林芳正)
     2 大蔵政務次官・参議院副幹事長 (林芳正)
     3 小泉政権 (林芳正)

     1 国会という場 (津村啓介)
     2 国会質問 (津村啓介)
     3 政治とカネ (津村啓介)
     4 東京と地元 (津村啓介)

    III 小泉政権から政権交代へ

     1 安倍内閣 (林芳正)
     2 防衛大臣 (林芳正)
     3 二度目の入閣と自民党の下野 (林芳正)

     1 民主党の試練 (津村啓介)
     2 小沢代表のリーダーシップ (津村啓介)
     3 政権交代-二〇〇九年八月三十日 (津村啓介)

    IV 政権交代後の一年

     1 政権交代は必然だった (林芳正)
     2 民主党政権の諸問題 (林芳正)
     3 自民党は何をなすべきか (林芳正)

     1 政治主導の最前線 (津村啓介)
     2 国家戦略室の理想と現実 (津村啓介)
     3 民主党の経済財政戦記 (津村啓介)
     4 科学・技術政策と日本の未来 (津村啓介)

    V 「職業としての政治」を語ろう 対談 林芳正×津村啓介

    あとがきにかえて (津村啓介)
     
     
    上記のように、各テーマごとに林氏、津村氏がそれぞれ執筆し、最後の章で両氏が対談する構成になっています。

    本書には二つポイントがあります。一つ目は、両名の相違点と共通点については「はじめに」に書いているのですが、相違点は「参議院議員と衆議院議員」「自民党と民主党」「林氏は津村氏の十歳年上」「林氏は近親者に政治家がいたが津村氏にはいない」ことであり、また共通点は「(執筆時に)両氏とも選挙を三度経験している」「政治家以外の職業経験があり、海外から日本を見る機会を得ている」ことで、この対比が上手いバランスで好企画だと思いました。

    二つ目は、この本は2011年3月25日初版発行なのですが「あとがきにかえて」の日付は2011年2月で、つまり東日本大震災(2011年3月11日)の少し前に書かれているわけです。また、目次の通りに小泉政権時と2009年9月からの民主党政権後の一年について重点が置かれています。なお、民主党政権は2012年末まで続くので、本書執筆時は民主党が与党で自民党が野党です。よって、東日本大震災前までの小泉政権ならびに民主党政権の事情や評価を知る、あるいは確認する上で、それらの全てを語っているわけではないのですが、それでも丁度いい位置にある本だと思います。

    この本を読んで一番考えなければならないと思ったのは、どうすれば効率良く国会議員を育てることができるのだろうか、ということです。林氏、津村氏ともに国会議員になる前から非常によく勉強しており、議員になるべくしてなった存在だと思っています。しかし、その一方で政治に関係ない職業の人間を、地元の議員だった親や親類の知名度、あるいは芸能などの活動で得た全国的な知名度をあてにして候補者に推薦する政党がいる。あるいは、それらの知名度を考慮して出馬する立候補者がいる。そして有権者もつられてそのような立候補者に票を入れる。これはものすごく非効率的なことをやっているのではないか。また、津村氏は日銀出身だが、それでも一年半ブランクがあれば難しい状況になる(P110)。あるいは、林氏も防衛大臣になったときには徹底的に勉強している(P143)。両氏とも過去のの勉強の蓄積があったから各々の職を勤め上げたのだと思いますが、それでももう少しいい方法があるような気がします。

    将来の大臣候補を如何に育てるか。例えば外務大臣を目指すなら大学卒業後外務省に入省して実績を上げて政治家に転職するか、あるいは外務大臣経験者の政治家の秘書になってその後継を目指し数期当選してその後、ということになるのでしょうか。後者のほうが政治家の仕事を知り、かつ知名度を上げ選挙区との結びつきを強める上でいいような気がします。ただ、これは志望者側の話なので、政党のほうではどうしようかというと、各省庁や関連していそうな企業にアンテナを張ってスカウトするだけなのは消極的なので、政治塾とかつくって将来の大臣レベルまで射程に入れて養成する、あるいは全議員の秘書に希望する大臣のアンケートをとって先の政治塾なり勉強会にも通わせるようにする……うーん、書いてみてもうどこかでやっている気もしないではないのですが、今のところ考えついたのはこんなところです。

    以下、気になった箇所をいくつか。「永田町というところは、実年齢よりも『ここで何年議員をやっているのか』が優先される世界」(P26)というのは、先の話で何歳まで省庁勤めで何歳から出馬、とか考えるのなら覚えておいたほうがいい話でしょう。P62の政党助成金の話は、当初は批判があったのを覚えていますが、こうしてみると議員を希望する者に門戸を広げた役割をしていて、これはもっと広く知られていい話だと思いました。

    また、「国会議員になると、必ず何かの常任委員会に属することになる。」(P73)や「参議院の場合、一つの委員会に属したら、三年やるのが通例」(P75)のような一種の議院のシステム的な面も興味があるところです。そのような知識がひとまとめになっている本とかあったらぜひ目を通しておきたいです。

    P95からの林氏の小泉政権批判も、そういう観点からみるのなら同意できるものでした。P99からの法律の生成過程や議員、委員会の内情については、議員の能力を超えてつくらなければならない法律があるのなら、これからはむしろ議員を増やしたほうがいいのではないか、とすら思えてきます。もっともそのためには議員が適切に仕事をしているか有権者もそれ相応の情報を得なければならず、週に何時間そのための時間をとれるか、想像し辛いものがあります。世の中の豊かさや快適さ、つまりある意味複雑さが政策決定に関する情報を増大させ、それが議員と有権者にのしかかってくる、そんなイメージが湧いてきます。

    P106の年金国会の際に起きた理不尽な話も覚えておきたいところです。その後、指示した国体は責任をとったのでしょうか。

    P146の「大臣から課長クラスまでが同じ方向を向き、胸襟を開いて語り合える関係が必要」も大臣とその担当省庁の運営が上手くいっているか、外部から判断するのは限界があるのでしょうが、目安として覚えておきたいです。P147の(閣議は)「撮影がすむと、丸テーブルが置かれた隣室に移動する」も、ちょっと意表を突かれました。P200からのマニフェストをはじめとした民主党批判もあの頃を思い出す上でいい資料になります。

    P214「あの時、日本人は頑張って国難を乗り越えた」とありますが、この後に東日本大震災が来て、更にこれは「難」と「益」のどちらが多いか判断つきませんが、2020年の東京オリンピックが決まって、当初の予算が大幅に増えたりして大変なことになっています。あれほど騒がれた新国立競技場は最近その話題を聞きませんが期日までに完成するのか不安です。世の中悪いことばかりではないことはわかっているのですが、それでも容赦なく追い打ちをかける状況というのもあるものだとつくづく思います。

    P218の津村氏の政務官時代のエピソードも、政務三役(大臣・副大臣・政務官)が官僚組織どう付き合い、運営していくべきか考えるヒントになると思います。また、これも人材不足によるものなのか、一人の人間に多く兼職させるのは取り組む時間が限られてくる問題が浮かび上がってきます。それとは別に考えたことがあって、ある人物の費用、時間、能力、人材を配分してミッションを達成するのは、ゲームというかシミュレーターとして作製できないだろうか、ということです。そのようなものをつくる目的は政治家の活動の一部でも知ってもらうためで、そんなのがあったらいいなあと思っています。

    P267の選挙の話は、どうすればいいのか難しいです。中選挙区制に戻すと政権交代の可能性が低くなり小選挙区制ならではの緊張感が失われて、今でさえ民主党が立憲民主党と国民民主党に分裂して政権交代を狙える党がないのに更に万年与党と万年野党しか日本には存在しない気がするので抵抗があります。行き着く先は政治腐敗でしょう。それにしても、アメリカ。「政治や政党のことを勉強してから、一回だけは『宗旨替え』が許される。」(P268)一回だけしか許されないだなんて。厳しい。「実際、任期が短く選挙が多い状態のまま小選挙区制度を導入した結果、ここ二十年は総理大臣がコロコロ代わってしまっています。」(P280)という表現も、今は第二次安倍政権が2012年の末からなので約6年半。当時予想もつかなかったことが次々起こって、本当に未来というのはわからないものです。

    総じて、政治家を志したいというか、それ以前に政治家という職業が実際にはどんなことをしているのか知りたい方は是非とも読んでいただきたいです。本書を読むことで、少しは見えてくるものがあるのではないかと思います。
     
     
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    今回は前進してほしい意味合いを込めてこの曲、


    スタンバイのテーマをどうぞ!
     

     

    今回は日本の政治の本の特集です。一番右は「体験ルポ 国会議員に立候補する」です。

    真ん中の本は「政権交代 – 民主党政権とは何であったのか」です。


  • 聖書 これをいかに読むか(赤司道雄著・中公新書) メモ

    自分用のメモです。本書では「イェス」という表記ですが「イエス」に改めました。

     
    P4
    イエス・キリスト=イエス救主

    P7
    「救主」はユダヤの救主の意味が後に人類の救主の意味になった

    P10
    新約聖書は「イエス」ではなく「キリスト(救主)」に関する書物

    P12
    本書の聖書の解釈については、人間の心的信仰を含む歴史的解釈で行う。客観的な歴史ではなく、信仰の書として

    P17
    マタイ伝:ユダヤ人の救主、系図はアブラハムから、著作場所はアンティオキア(ユダヤ人キリスト教徒の一つの中心、伝道の拠点)(処女降誕はアブラハムの系図と矛盾することに注意)

    P21
    ルカ伝:人類の救主、系図はアダムから、著者は地中海のヘレニズム世界にキリスト教を伝道したパウロの同伴者、医師ルカ(ユダヤ人ではなく、ヘレニズム世界に育ったキリスト教徒)

    P32
    過越(すぎこし)節の起源はパレスティナ地方のカナン人の春の農事祭、羊の初子の犠牲の祭

    P41
    カナン侵入はヨシュア一人でなされたのではなく、それ以前からのいくたびかの戦闘によってなされた。(私見:ヤマトタケルノミコトのような感じか)

    P53
    (私見:サムソン伝説とスサノオ神話(根の国での大国主命の試練)の類似(髪の毛、倒壊))

    P85
    アダムとイヴの物語が原罪として解釈されるのも(ユダヤ教ではなく)キリスト教になってから

    P98、180
    共観福音書=マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝 (ヨハネ伝は除外)
    イエス語録をQ(Quelle、ドイツ語で資料の意味)、
    マタイ伝、ルカ伝独自の資料をそれぞれM、Lとしたとき

    原マルコ=マルコ伝
    原マルコ+Q+M=マタイ伝
    原マルコ+Q+L=ルカ伝
    マルコ伝(+マタイ伝)+ルカ伝+ヨハネ原資料=ヨハネ伝

    P100
    様式史的研究の代表者はブルトマン(Rudolf Bultman)とディベリウス(Martin Dibelius)、書物「イエス(esus)」

    P100
    当時の歴史家にとって取り上げられるほどの大事件ではないので、福音書以外の当時の事件を取り扱ったフラヴィウス・ヨセフス「ユダヤ史」などにはイエスに関する記録はない。

    P117
    イエスは多くの教えを比喩で行った。元来比喩であったものが奇跡として伝えられさらにそれが変化発展していくものもある。

    P120
    処女降誕、復活はキリスト、メシアの信仰が産んだもの。

    P121
    復活についての文献検討による詳細な解説

    P122、168
    パウロは肉体の復活を否定し、霊体の復活を主張

    P123
    「復活」のような霊的な信仰が、超自然的、超物理的な奇跡物語に展開していった。処女降誕、生誕についてはユダヤ教のメシア信仰とキリスト教になってからのキリスト信仰の混合が跡づけうる。

    P126
    共観福音書ではルカ伝が資料保存の強度が強く信憑度が一番高い。マタイ伝はちょっとした説明を加えて編集し直す傾向が強い。

    P140
    最後の晩餐、十字架の説話についての詳細な解説

    P162
    イエスとパウロについての詳細な解説

    P176
    ヨハネ伝:神学的、キリストの神格化、著作場所はギリシア文化中心地のエペソ(ロゴス哲学のイオニア学派の発祥の地)

    P178
    初めに言あり:ギリシア思想のロゴス論、旧約箴言のホクマ論、ヘブライ思想の神の創造

    P185
    イエスによる神の愛の示しがパウロの人間的な悩みのなかに受けとめられ、ヨハネにいたってキリストは神の独り子としてキリスト者の信仰、崇拝の対象としての形を完成した。

    以上です。
     
     
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    今回はこの曲です。


    「青空をとぶ前に」歌は冷声ゼロさんです。
     

     

    今回は聖書・キリスト教などの本の特集です。