• タグ別アーカイブ: 聖書
  • イギリス名詩選(平井正穂編・岩波文庫)感想とメモ

    古本屋で300円で購入、定価表示が620円。この程度の値段で一国の代表的な詩が100作収められているのは本当にありがたい限りです。今アマゾンを見たら1012円、何故に!?中古は24円でした。なお、結構力のこもった編者の平井正穂による前書きによるとこの詩集に載っているのはルネッサンス期のスペンサーから現代のブランデンまでで、第二次世界大戦の前後より後のものは別に編まれるべき、とのことで割愛されています。

     
    全体的に以前ブログに書いたフランス名詩選よりも感覚が似ていて読みやすく、心情もわかりやすかったです。漢詩にもよくあるのですが、悠久の自然と比べて自分の人生は何なのか、なんて題材はピンとくる感じでした。

    逆に気持ちに少し待ったがかかったのがキリスト教の信仰を題材にしたものです。縁が遠い概念なので作者の心情を把握するよりも、私としては知識としてとらえる意味合いのほうが強かったです。

    その他、言及したいものなどを。トマス・キャンピオンの「誠実な人間」(P47 9)の最後二行を読んで、鴨長明の方丈記の冒頭を思い出しました。また、アレグザンダー・ポウプの「隠栖の賦」(P133 33)がこの詩と似ているのですが、何らかの関係というか影響というのかがあるのか気になるところです。同じくトマス・キャンピオンの「熟れた桜桃(さくらんぼ)」(P49 10)についてですが、聖書の禁断の実がさくらんぼという話は初耳なので少し驚いてます。ジョン・クレアの「私は生きている」(P207 61)で、今いる世界から次に向かう世界として「海原」の語が出てきたのはケルト人の信仰の名残なのでしょうか。ロバート・ブラウニングの「ピパの唄」(P241 69)は、対句による構成がなんか本当に漢詩みたいで面白いもんだな、と思いました。

    虫の声、鳴き声に触れた詩があったのでメモしておきます。ウィリアム・バトラー・イェイツの「イニスフリーの湖島」(P225)という詩です。また、虫の発する音ということであれば、この詩の「蜂の飛び交う音」とウィリアム・コリンズの「夕べの賦」(P129 38)、サミュエル・ロジャーズの「小さな願い」(P151 45)の三作にみられます。「夕べの賦」では甲虫(かぶとむし)の翅の音に触れていて、「小さな願い」では「蜜蜂の小さな唸り声」とこちらは少々変わった表現を用いてます。
     
     
    以下は自分用のメモです。私がいいな、と感じた作品を書いておきます。

    P 37 5 静かな想いにさそわれて ウィリアム・シェイクスピア
    P 49 10 熟れた桜桃 トマス・キャンピオン
    P 81 22 老齢 エドマンド・ウォラー
    P 91 27 出征に際し、ルーカスタへ リチャード・ラヴレイス
    P117 35 ヘンリーの旅籠屋にて記す ウィリアム・シェンストン
    P121 36 金魚鉢で溺死した愛猫を悼む トマス・グレイ
    P135 39 ポプラの野原 ウィリアム・クーパー
    P153 46 発想の転換をこそ ウィリアム・ワーズワス
    P205 60 ある一つの言葉 パーシ・ビシー・シェリー
    P207 61 私は生きている ジョン・クレア
    P241 69 ピパの唄 ロバート・ブラウニング
    P265 78 ヘラクレイトス ウィリアム・コーリ
    P267 79 真実は偉大なのだ コヴェントリ・パトモア
    P269 80 思い出 ウィリアム・アリンガム
    P271 81 燈台草 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
    P281 86 夕闇に鳴く鶫 トマス・ハーディ (※ 鶫=つぐみ)
    P291 88 逝きしわが子 ロバート・ブリジェズ
    P299 90 イニスフリーの湖島 ウィリアム・バトラー・イェイツ
    P317 95 みんなが唄った シーグフリード・サスーン
    P327 98 マリーナ ここはどこだ、どこの国、世界のどのあたりなのか? トマス・スターンズ・エリオット

    再読するならしばらく後で……数年後に読んだ方が自分の心境の変化がわかりそうな気がします。
     
     
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    今回はこの曲です。


    蛍の光はスコットランド民謡。
     

     

    イギリス関係の本を少し集めてみました。


  • 聖書考古学 遺跡が語る真実(長谷川修一著・中公新書) 感想

    この本の主な内容は旧約聖書と出土した資料との照合による検証で、旧約聖書の創世記の12章から50章、出エジプト記、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記のあたりまでが取り扱っている主な内容です。

     
    以下、各章ごとに説明ならびに感想を述べていきます。

    第一章は聖書の簡単な説明と、聖書自体の考古学的検証です。「レニングラード写本」とか「ビブリア・ヘブライカ」とか初めて知りました。そして、聖書がどんな人によっていつ書かれたのか、そしてどのような目的があったのか、ということが周辺国家との情勢とともに語られています。

    (メモ:P29、申命記史=申命記、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記の五書、申命記史観に基づいて編纂された申命記史の存在をドイツ人マルティン・ノートが提唱)

    第二章は考古学の基礎知識の説明と、それによって聖書の内容をどう考えるか、という点についての説明です。

    第三章から第六章が、この記事で冒頭に述べた事柄を記述してます。それに関して、アブラハムやラクダ、聖書に登場した街の遺跡や遺品、旧約聖書のエピソードで登場するエジプトの文献やゴリアト(ゴリアテ)の武装、アラム語やモアブ語の碑文など、検討できる各方面の要素について説明しています。

    なお、以前書いた記事、「聖書 これをいかに読むか(赤司道雄著・中公新書) メモ」で触れたヨシュアのカナン侵攻に関してはP111以降で、また過越(すぎこし、過越節、過越祭)についてはP129から触れていました。

    第三章から第六章については、北イスラエル王国や南ユダ王国の情勢を説明する以上は必然的に周辺国の説明もする必要があるので、結果として古代中東史の本を読んでいるのと近い感触がします。

    (メモ:P183、新共同訳と原文のヘブライ語からの訳が異なる、との説明。私としては、新共同訳が原文と異なる訳をしていることを明言しているか疑問。)

    (メモ:P206、「ヨハネ自身、あるいは彼の弟子たちがエッセネ派だった、と結論するのは早急すぎる。」P207、(エッセネ派に限らず、)「終末思想や浸礼は起元一世紀のユダヤ教徒の間に広く行きわたっていた思想や慣習だった」とのこと。(浸礼≒洗礼))

    第七章は、この本が書かれた時点(本書の初版は2013年)での聖書と歴史学・考古学との関係を考察したもので、ある意味第一章・第二章の続きともいえます。

    一通り読んだ感想としては、おおよそ紀元前2200年のあたりからセレウコス朝、ハスモン朝、ローマ、ヘロデ王を駆け足で語って紀元70年あたりまでが本書のメインの第三章から第六章までの範囲なので、この時代について調べる際にリファレンス的に使う気がします。ある意味、旧約聖書についての古代中東小史ともいえるのではないでしょうか。それ故に、物足りなくなったときにより多くの情報を得るために巻末の読書案内があるのだと思います。もっとも、もう初版発行より6年も経っているので、実際には同一著者の本で新版がでていないか念のため確認しておいたほうが良さそうです。言い切ること、断定することが少ない本でしたが、それ故に学問的誠実さを感じて好感が持てました。
     
     
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    今回はこの曲です。


    「水の鏡β」歌は出宅ナイさんです。
     

     

    今回は本書の読書案内で紹介されていた本や、聖書・キリスト教などの本の特集です。


  • 色彩の世界地図(21世紀研究会編・文春新書)感想

    前回に続いての文春新書の世界地図シリーズです。世界の各地では色にどんな意味合いを持たせているのか、その元にどんな考えがあるのかを知りたくて本書を入手したのですが、この目的に関していうなら本書はテーマごとにまとまりすぎていた気がします。まず、目次を以下に記します。

     
    第1章 東西南北にも色がある
    第2章 国旗のなかの色彩の世界
    第3章 聖書のなかの色彩地図
    第4章 イスラーム世界の緑色
    第5章 赤の語源は血!
    第6章 青い血の謎
    第7章 皇帝色、黄禍、そしてユダヤ人の色
    第8章 白い世界と黒い世界
    第9章 歴史のなかの色彩地図
    色彩の小辞典

    おおよそ目次のタイトルから本書の内容も推察できると思います。第9章は歴史に出てくる色に関する話をあちこちから集めたもので、系統立てて記した内容ではないです。「色彩の小辞典」は「英語に見る色に関係した言葉」と「故事・ことわざに見る色に関係した言葉」で、ともに色が出てくる言い回しについてまとめたものです。

    本書を読んで思ったことをいくつか。P25に「天帝のいる場所は『紫微垣(しびえん)』とよばれるように、淡い紫色の光を放つ星座なのだという。」とあったので、日本の奈良時代にあった役所、紫微中台もそれにあやかってつけた名前かと思ったら、そちらは「中書省を改称した紫微省と則天武后の執政時代に尚書省を改称した中台に由来するもの」(ウィキペディア)とのことでした。

    P106には、聖書とコーランの創造神話と共通した要素がそれらより古い古代エジプトの神話にもあることが書かれていて、こういう話が好きな私には思わぬ拾い物です。

    P111のイスラームの死装束について語った箇所で、「戦闘などで死んで殉教者と認められた者は、生前に着ていた服を死装束としても神の祝福を受けれらる、と信じられている。こうした考え方があるので、自爆テロのような死が殉教とされている現状では、清浄な死装束をまとわず、死体が敵の手で処理されても、来世での至福が必ず約束される、ということになるのだ。」と書かれているのですが、それならそのときに生前に着ていた服を脱がして、(イスラームにとっての)清純ではない死装束を着せるようにすれば少しは自爆テロに躊躇するようになるだろうか、と少し想像しました。

    本書は色についてのエピソードを集めた本です。私としては神話であるとか、あるいは民俗であるとか、各民族の歴史の中で培われた色に対する考え方を知りたかったので、近代の話が出てくるとそこに違和感が生じたりもしました。その種の話に触れると本当にきりがない気がするので、神話が息づいていた中世ぐらいまでで丁度いいのかな……というのが正直なところです。

    とはいえ文章も読みやすく、興味がある話題も結構あったので、新鮮な知識に触れたくなったときの気分転換の一冊としてお勧めします。一通り読むのもいいけど気が向いたときに適当にページを開いて小見出しの箇所を読む、それでも十分に楽しめる本です。
     
     
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    カラフルな動画といえばこれ!


    小品「小鳥の小躍り」です。
     

     

    今回は文春新書の世界地図シリーズと色の本の特集です。


  • 聖書 これをいかに読むか(赤司道雄著・中公新書) メモ

    自分用のメモです。本書では「イェス」という表記ですが「イエス」に改めました。

     
    P4
    イエス・キリスト=イエス救主

    P7
    「救主」はユダヤの救主の意味が後に人類の救主の意味になった

    P10
    新約聖書は「イエス」ではなく「キリスト(救主)」に関する書物

    P12
    本書の聖書の解釈については、人間の心的信仰を含む歴史的解釈で行う。客観的な歴史ではなく、信仰の書として

    P17
    マタイ伝:ユダヤ人の救主、系図はアブラハムから、著作場所はアンティオキア(ユダヤ人キリスト教徒の一つの中心、伝道の拠点)(処女降誕はアブラハムの系図と矛盾することに注意)

    P21
    ルカ伝:人類の救主、系図はアダムから、著者は地中海のヘレニズム世界にキリスト教を伝道したパウロの同伴者、医師ルカ(ユダヤ人ではなく、ヘレニズム世界に育ったキリスト教徒)

    P32
    過越(すぎこし)節の起源はパレスティナ地方のカナン人の春の農事祭、羊の初子の犠牲の祭

    P41
    カナン侵入はヨシュア一人でなされたのではなく、それ以前からのいくたびかの戦闘によってなされた。(私見:ヤマトタケルノミコトのような感じか)

    P53
    (私見:サムソン伝説とスサノオ神話(根の国での大国主命の試練)の類似(髪の毛、倒壊))

    P85
    アダムとイヴの物語が原罪として解釈されるのも(ユダヤ教ではなく)キリスト教になってから

    P98、180
    共観福音書=マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝 (ヨハネ伝は除外)
    イエス語録をQ(Quelle、ドイツ語で資料の意味)、
    マタイ伝、ルカ伝独自の資料をそれぞれM、Lとしたとき

    原マルコ=マルコ伝
    原マルコ+Q+M=マタイ伝
    原マルコ+Q+L=ルカ伝
    マルコ伝(+マタイ伝)+ルカ伝+ヨハネ原資料=ヨハネ伝

    P100
    様式史的研究の代表者はブルトマン(Rudolf Bultman)とディベリウス(Martin Dibelius)、書物「イエス(esus)」

    P100
    当時の歴史家にとって取り上げられるほどの大事件ではないので、福音書以外の当時の事件を取り扱ったフラヴィウス・ヨセフス「ユダヤ史」などにはイエスに関する記録はない。

    P117
    イエスは多くの教えを比喩で行った。元来比喩であったものが奇跡として伝えられさらにそれが変化発展していくものもある。

    P120
    処女降誕、復活はキリスト、メシアの信仰が産んだもの。

    P121
    復活についての文献検討による詳細な解説

    P122、168
    パウロは肉体の復活を否定し、霊体の復活を主張

    P123
    「復活」のような霊的な信仰が、超自然的、超物理的な奇跡物語に展開していった。処女降誕、生誕についてはユダヤ教のメシア信仰とキリスト教になってからのキリスト信仰の混合が跡づけうる。

    P126
    共観福音書ではルカ伝が資料保存の強度が強く信憑度が一番高い。マタイ伝はちょっとした説明を加えて編集し直す傾向が強い。

    P140
    最後の晩餐、十字架の説話についての詳細な解説

    P162
    イエスとパウロについての詳細な解説

    P176
    ヨハネ伝:神学的、キリストの神格化、著作場所はギリシア文化中心地のエペソ(ロゴス哲学のイオニア学派の発祥の地)

    P178
    初めに言あり:ギリシア思想のロゴス論、旧約箴言のホクマ論、ヘブライ思想の神の創造

    P185
    イエスによる神の愛の示しがパウロの人間的な悩みのなかに受けとめられ、ヨハネにいたってキリストは神の独り子としてキリスト者の信仰、崇拝の対象としての形を完成した。

    以上です。
     
     
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    今回はこの曲です。


    「青空をとぶ前に」歌は冷声ゼロさんです。
     

     

    今回は聖書・キリスト教などの本の特集です。


  • 聖書の奇跡 その謎をさぐる(金子史朗著・講談社現代新書) 感想

    旧約聖書に記載された超常的な記述について科学的な解釈を試みた本です。言い換えるなら、科学的な解釈が可能な箇所について取り上げた本といったほうが正確かもしれません。昭和55年(1980年)7月20日初版発行。今からおおよそ38年ほど前の本です。今ではこの方面の知見もかなり溜まってきていると思います。

     
    エブラ王国。ダマスカスの北、地中海とユーフラテス川に挟まれる位置にあった国で、本書によれば紀元前2400年頃に王国繁栄の基礎ができていて、エブラ語の完成度からすると紀元前2800年以前には成立していたと推測されています。その国の公文書ともいえる楔形文字粘土板が約1万6630点も発見された……NHKテキストViewの記事「『旧約聖書』はいつ、どのように編纂されたのか」によると、旧約聖書のまとまりのあるものが成立したのは前5世紀から前4世紀頃とのことです。

    そして、それよりもはるか昔の、その王国の粘土板に「創世記」に出てくる都市の名前が刻まれていました。アデマ、ゼポイム、ベラ、そして……ソドム、ゴモラ。ソドムとゴモラは聖書以外に知られていなかった名前で想像の産物と考えられていましたが、この両市は紀元前2250年以前には実在していたとのこと。となると、旧約聖書とエブラ王国の関係は?共通点は?という話が少し載ってます。

    次に、聖書の時代の気候についての話があります。本書によると、紀元前5000年から同2350年の間は西アジア、エジプト、北アフリカは高温多湿だったとのことです。現代の研究でもその説は変わってないのか気になるところではあります。しかし紀元前2350年から同500年の間は極乾期(ハイパーアリド)に入り、気候が乾燥していったのに加え、放牧ほかの人為的な要因により豊穣な大地が不毛の荒野になってしまったのではないか……と述べられています。私はこの点について現在の詳しい状況は知らないのですが、もしかしたら人為的な大地の回復も可能ではないのかという気がします。

    その後、先に出てきたソドムとゴモラの謎に迫ります。実在していたのなら、どこにあったのか。途中、その町から逃げるときに振り返ったばっかりに塩の柱になってしまったロトの妻の話題が出て来ます。私はイザナギもオルフェウスも振り返ったばっかりに痛い目にあったことが思い起こされました。また、ロトの妻の話については、現地を知ると知らぬとでは大違いな話でした。ロトが災厄を逃れてついた町、ゾアルの話題も出てきます。どこにあったのか。本書が書かれた当時の、ですが「現在の見解」(P.67)としての推測が書かれています。

    そして、なぜ……というより「何で」ソドムとゴモラは滅びたのか。これも、本書の見解は推測以上のものではないのですが、現地を知っているのと知らないのとでは印象がかなり変わってくる話だと思いました。そして、ヨーロッパやアメリカの人たちも、そんなに本書に書かれている話は知らないのだろうな、と考えています。

    その他、ノアの洪水、モーセの十大奇跡、紅海の奇跡について触れています。前の二つについては可能性に触れただけと言っていいでしょう。後の一つについてはP.112に「たぶんここでいう『紅海』というのは、沼沢地帯に生えている『葦(あし)の海』つまり Reed Sea が誤って、Red Sea と訳されたのではあるまいか。」との話で、ヘブライ語やアラム語、もしかしたらラテン語まで範疇に入れて、それらの言語でも同様に通じる議論ならいいのかもしれませんが不安です。

    また、本書によるとモーセの十大奇跡と紅海の奇跡は紀元前1400年代の初め頃か、あるいはその100年以上あとのラメセス二世の在位の期間に起こったのではないか、ということですが、本書でのキーパーソンならぬキー火山といえるサントリーニ火山はその時期に噴火した記録が無い(紀元前1613±7年の次が紀元前197年)ので注意が必要です。

    ここから地震の話が多くなります。民数記16章31~35、47~50、20章1~11、13、エリコの城壁が崩れ落ちた話が地震と絡めて語られます。城壁という言葉からそれが頑丈なものであると思いがちです。しかし、それは案外もろいものだったのではないか、という話もあります。

    最後に、地質調査の話が出てきます。長い年月をかけて造山運動がここで起こっていたことがわかったのですが、詩篇104篇5~8はその造山運動を、ゼカリヤ書14章4~5、アモス書8章9~10、詩篇114篇3~8、同39篇14~15は地震とともに地盤、大地の動きをも語っているのではないか、という話です。少し後のP.174の出エジプト記19章18の解説もそのニュアンスを匂わしています。私は詩篇39篇14~15については、当時の人々にとって「地の深い所」は民俗学的な意味は無いのか、気になりました。

    全体を通して言うなら、今もそうかもしれませんが資料が少ない時代の話なので推測が多くなるのは仕方がない面があると思います。更にいうなら、本書カバーの記述によると著者は東京文理科大学(現・筑波大学)理学部地学科を卒業した構造地形学専攻の理学博士であるので、地震や地盤の話に重点が置かれるのはある意味当然ともいえるでしょう。ただ、その箇所の語り口に少々強引なものを感じたのも確かです。繰り返しになりますが本書は1980年に出版された本であり、現在の知見ではないことを考慮して読まれることをお勧めします。
     
     
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    どうするどうなる死後の世界。


    今回は「天国と地獄」序曲のおなじみの部分です。
     

     

    以下、聖書に関連したアイテムです。

    ※岡村靖幸のアルバム「靖幸」の5曲目は「聖書(バイブル)」。
    聖書考古学はいつか読もうと思います。