民主党政権 失敗の検証(日本再建イニシアティブ著・中公新書)感想

人間、歳をとると十数年以上前のことでもつい最近のように思えてくる記憶がある一方で、数年前ともなると覚えているようで覚えていない、そんなこともあると思います。民主党が政権を担ったのは2009年9月から2012年12月までなのですが、そのときのこと、特に身の回りのことや、どんな仕事や生活をしていたか、思い出すのはちょっと難しいのではないでしょうか。ましてや政治のことなんて……ねえ。

 
本書は民主党政権の成り立ちから終焉までに民主党内でどのようなことがあったか、民主党の中枢を担った議員に対するヒアリングをはじめ綿密な調査を行いまとめたものです。なぜマニフェストが達成できなかったのか、なぜ党内がまとまらなかったのか、民主党政権の功罪をどうとらえればいいのか、そんな問題提起を考える一助になります。

序章「民主党の歩みと三年三カ月の政権」からして、民主党の政権取得以前からの経緯、変遷がわかりやすくて助かります。P10の「過去の検証だけでなく、日本の議会制民主主義の将来のために活かすべき教訓は何か、という視点を大切にした。」とのことで、今後の政権をみるためにも本書を参照して考えるのは有益でしょう。

マニフェストを扱った第1章「マニフェスト-なぜ実現できなかったのか」の、P22からの「積み重なる新規政策」を読むと、精神的な切り替えが難しい、そんなことも迷走の原因になっていてただただ政党運営の難しさを感じます。また、P29の予算の税収見積もりが46兆円から37兆円に落ち込む話なんてそもそもリスクとして管理できる話なのか、いくらなんでもこれは不幸の範疇に入れていいのではないかと思いました。P42からの「共有されなかったマニフェスト」は、マニフェスト一つとってもうまく運営しないと薬も簡単に毒に転じることを示していて恐ろしいものだなと感じました。

そして、P34「参院選敗北と党内対立」の消費税とマニフェストをめぐる経緯には泥臭い人間ドラマを感じました。また、小沢一郎は選挙ウケを狙い、岡田克也、菅直人はまだ計画的に動いている印象がしました。

政治主導を扱った第2章「政治主導-頓挫した『五策』」では、P55の総務省の話が心に残ってます。人材を各局にどう配置させるか、こんなところでもつまづくところはつまづく、難しいものです。また、P57の尖閣沖の中国漁船衝突事件で「連日のように官邸で仙谷を中心に船長の扱いが検討されていた。」のは覚えておいたほうがいい話なのかも。P58では野田政権が現実を重視するあまり政治主導が置き去りにされた様が描かれています。

第3章「経済と財政-変革への挑戦と挫折」では、P104からの「事業仕分けの限界と可能性」は読んでおくべき箇所だと感じました。つまり、その目的はあくまでも透明化であって、財源の確保ではないということです。そして、なぜ一部を除いて査定大臣になれなかったのか、については(現時点の大臣、副大臣も含めて)一層考えていくべきことでしょう。当時、行政刷新会議事務局長だった加藤秀樹氏の言葉、「(略)最後は国民が政治を『自分事』と思うかどうかに帰着する」(P107)が胸にしみます。

また、P112に予算制度の改革にあたってベースライン(現行の制度と最新の経済データに基づき、中期の歳入・歳出の見積もりをたてること)を導入しようとしたところ、財務省が反対してできなかったとあるのですが、なぜ民主党が省庁の反対にあったぐらいでできなかったのか、もう少しここは説明が欲しいところです。

ただ、何につけてもそうですが、ここらへんの経済とかの話は特に自分だったらどうすればいいのかと問うと悩ましい話です。

第4章「外交・安保-理念追求から現実路線へ」では普天間基地問題、先の漁船衝突事件、尖閣国有化の三つがメインとして語られています。この分野では、野田政権の現実主義的な対応が発揮されたといってもいいでしょう。

第5章「こども手当-チルドレン・ファーストの蹉跌」を巡る話では、受給の際に所得制限をしないのであれば格差が広がるから本書の通りに累進課税を強化するべきだと思うのですが、なぜそちらの方向に民主党が行かなかったのが、これは今も疑問です。あと、「(略)女性が子どもを産みたくても産めない最大の理由として『経済力不足』が各種の調査であげられている(以下略)」(P168)とのことなので、働き手の収入が減る話が出てくるたびにこのことを少子化につながる根拠として思い出すことにします。

P173の配偶者控除撤廃に踏み込めなかった話として「(略)二〇〇九年衆院選で大量の新人議員が登場し議員構成が大きく変わったことにより、『専業主婦を正当に評価するべきだと考える人が党内で増え、考え方が自民党に近づいてきた』」というのは興味深い論点です。つまり、党の意思決定はどのように決められるべきか、多数が主体となるなら場合によっては「変えられる」事態も想定されるわけで、そこはあくまでも当初の考えを堅持して新たな党員に誓約書を書かせて守らせるべきか、あるいは大量に入れることを避けて少しずつ取り込んでいくべきか、考え所です。

第6章「政権・党運営-小沢一郎だけが原因か」の「特定の有用な人材を大臣間で競合して副大臣や政務官にとりあうようなこともおき、」(P204)という話が出て来て、これは前回記事にした「国会議員の仕事 職業としての政治」(中公新書)の津村啓介氏のエピソードと一致するところがあります。また、「(略)残りの二〇〇人で委員会運営までできるかといったら、非常にきつい」(P206)という海江田万里氏の指摘は興味深い話です。そしてP207からの「党の重点要望」の民主党内のやりとりも、力関係からの視点からみると重要な例であり、党運営の設計の難しさを感じました。

P214の逢坂誠二氏の「(略)議論することと、決定することと、納得することにそれぞれ違ったものがあるということが分かっていない。(以下略)」やP219の辻元清美氏の「自社さ政権時代の野中広務さんのように、政権維持のため泥まみれになる覚悟や執念、政治技術をもって調整にあたる存在がいなかった」も貴重な証言といえるとともに、将来、同様に政権を担う党への警鐘ともいえるでしょう。そして、P226の「藤井裕久の役割」。獅子身中の虫とはまさにこのことで、「政権をとったら財源などいくらでも出てくる」という言葉の責任はもっと追及されて然るべきだと思いました(関連 P41)。

第7章「選挙戦略-大勝と惨敗を生んだジレンマ」にも気になる箇所があります。P234の「いなかでの会話の伝達速度」の話をどう考えるか。これは、農村地域が政治情報に積極的に接していないから起こる現象なのか。それは、第一次産業の労働時間、あるいは労働時間帯と関係あることなのか。そんなことが浮かんで来ます。

P237、P241の選挙区の問題について。国会議員は国政を語る存在なのか、地方の利益の代表者なのか。国政を語る存在に力点を置くなら、政務三役の経験者は国政を語る存在として比例区にしか出られないようにするのはどうか、とか、あるいは地方(居住地)による利害よりも職業や所得による利害のほうが大きいのでそちらの枠で選挙区をつくってもいいのではないか(この場合、他の枠の選挙区には入れない)とか想像しました。

選挙制度についてもう少し付け加えるなら、(この本ではなく)時折、小選挙区制は与党が変わりやすく安定した政権にならないから問題なのではないかという声をきくのですが、倒れて然るべき政権がより倒れやすい制度である、と考えるとそう悪くはないと思います。そして、選挙制度を考えるのも大事ですが、有権者が政治をどうすればより考えるようになるか、を考えることも同じかそれ以上に大事なことでしょう。

また、相手の足を引っ張るだけの政局国会(P238、248)の遠因には、国民が衆議院選挙・参議院選挙に出て戦うこと自体難しい現状があると思います。供託金なり選挙戦術なり明日からやれと言われても難しいことなので、供託金の額を減らし選挙ノウハウがもっと一般に知れ渡るようにすることで国民が立候補しやすい状況になれば、国会のグダグダぶりにあきれてだったら自分が仕切ったほうがまだマシと考える人もいるでしょうから、それが議員を牽制する意味も加味して少しは生産性の高い議会になるのではないかと考えてます。

そのほか気になるところをピックアップ。P243「(略)与党でありながら政府の出した法案の審議をサボタージュして一切応じなかった」P245「(略)官僚から海外出張がチャンスと聞いていたので、これは財務官僚による洗脳の典型的な例だと思った」とかすごいです。後者、われわれは専門家の意見に全て対抗するには全ての専門的知識を身につけなければいけないような、ある種絶望的な気持ちにすらなります。

P258「自民党政権を終わらせるのは、徳川時代を終わらせるぐらい大変な歴史的成果だった。(以下略)」や、P262の「しかし、民主党政権が抱えたさまざまな矛盾は、」の段落については後の部分も含めてその通りで、これからもどう接すればいいのか考えていかなければならない問題でしょう。

終章「改革政党であれ、政権担当能力を磨け」のP271「『実務と細部』の欠如」の箇所が、このときの民主党政権について本当に的確にまとめていてなかなか読み応えがありました。こうしてみると、与党と野党は国政での役割と作業内容が全く違うことを当の議員、特に野党議員がどれだけ自覚しているか、どう自覚させるか、難問です。党のトップがそれをわかっていれば党員に号令をかけることもできるのでしょうが、わかっていなければ普段から有権者と議員とがコミュニケーションをとるとか、そんな手段しか思いつきませんでした。

あと、P276の片山義博氏の「民主党を見ていて以前から危惧していたことがある。それは公約違反に対する無邪気さと鈍感さである」という指摘も覚えておこうと思います。

全般的に思ったのは民主党の人材不足ぶりで、能力のある人間がいないから官僚に頼ったり、あるいは時間不足になる、それが慢性的に続いていたことです。いかにいい政治家を育てるかは基本的に政党のなすべきことですが、今後の日本にとっても重要な課題だと考えてます。また、事前に計画を立てたり準備する前に実行する、あるいは実行せざるを得ない状況になることが多いのも気になりました。この民主党のケースでは「与党慣れ」するまでは従来通りの与党であり続け、要領がつかめてきたら改革なり大胆な組織変更を行えばまた違ってきた気がします。もっとも、派手なことをマニフェストに書かなければ票をとれない一面もあるだろうから、それは有権者の問題でもあると考えています。

あるいは、これからも日本の政治は無理なマニフェストの積み重ねとそれに記された目標に近づくことでした達成されないのかも、そんな気もします。マニフェスト自体あくまでも目標、お題目として割り切ってみたほうがいいのか、いえることは達成されなければ叩くといっても別の党にすればよかったかというと必ずしもそうとは限らないということでしょう。

本書に苦言を呈すならP15の表に視力検査をされているのかと思わせるぐらい小さい文字があったことぐらいです。本書は(元)民主党を批判するためというよりも、将来日本の政治をどうすればいいか考えるための本です。そのために民主党のたどった道を振り返ってみるのは有用です。こういう良いまとめとなる本がこれ以降の各政権についてほしいと思いました。
 
 
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今回は政治の本の特集です。本書の参考文献もあります。真ん中の本は「政権交代 – 民主党政権とは何であったのか」です。